核兵器による壊滅の危機に晒された沖縄①

<NHKスペシャル「沖縄と核」に衝撃>

去る9月10日に放送されたNHKスペシャル「沖縄と核」が波紋を広げている。1950年代、沖縄が世界一の核兵器集積地だったというスクープドキュメントである。その数1300発、いまアメリカとロシアが所有する五分の一の量に相当する核兵器が、沖縄に集中していた。それだけでなく、事故による誤発射やキューバ危機に伴う核戦争の勃発で、沖縄が壊滅する危機が何度もあったという衝撃的な内容だ。

<嘉手納弾薬庫地区> 知花弾薬庫は、1972年の沖縄返還に伴い、嘉手納、波平、読谷、東恩納などいくつかの弾薬庫や関連施設が統合され、現在の「嘉手納弾薬庫地区」となった。読谷村、沖縄市、嘉手納町3市町村にまたがり、総面積約27.2平方キロメートルに及ぶ。(「ウィキペディア」より抜粋)地下構造になっているため、外見的には広大で静かな森に見にしか見えない。

 

<なぜ 沖縄に核兵器が集中?>
当時はまだICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)など、長距離核攻撃を行う技術が開発されていなかったため、アメリカ軍は核兵器を前線基地に配備する必要があった。それには中国、ソ連、朝鮮半島に近い日本の米軍基地が最適とされ、沖縄だけでなく「本土」にも配備する計画だった。しかし、1954年にビキニ環礁で第五福竜丸など日本の漁船が水爆実験の死の灰を浴びる事件が起き、全国で反核運動が高揚したことから「本土」への配備計画は見送られた。その結果、当時アメリカの統治下にあった沖縄に集中することとなった、と番組は強調している。

<沖縄消滅の危機>
番組は元アメリカ軍兵士の証言をもとに、隠され続けてきた衝撃の事実を次々に明らかにした。
1959年、那覇基地(現在の那覇空港)に配備されていたナイキ・ハーキュリーズ(核ミサイル)一発が、整備中に暴発して発射され、兵士1人が死亡する事故が起きた。核弾頭を装着したミサイルは、那覇沖の海中に落下、核弾頭は回収されたが、事故については厳重なかん口令が敷かれ、隠され続けた。「もし爆発していたら那覇は壊滅しただろう」と、元兵士は恐怖の表情で語った。
また、嘉手納弾薬庫で核兵器の整備を担当していた別の兵士は、1962年キューバ危機の際、核の発射スイッチはすべて発射準備完了を示す「HOT」となり、誰もが核戦争が始まると思った、という。「沖縄は消滅する。もう家族には会えないと覚悟した」と、いまも残る核ミサイル発射台の前で証言した。

<”あわや核爆発”B52墜落事故>

B52戦略爆撃機。冷戦時代における米軍の主力戦闘爆撃機(核兵器も搭載可能)。“黒い殺人鬼”と呼ばれた。(「ウィキペディア」より抜粋)
1965年7月、沖縄から初めてB52(30機)がベトナムへ向け発進した。米軍は、沖縄は「発進基地」ではなく「補給基地」であることを強調していたが、これで沖縄の「出撃基地」としての性格が大きくクローズアップされた。

番組を見ながら、私はもう一つの“核爆発の恐怖”を思い出した。ベトナム戦争真っただ中の1968年11月19日、米軍戦略爆撃機・B52が、嘉手納基地で離陸に失敗して墜落炎上した。「黒い殺人機」と呼ばれたB52は、沖縄から大量の爆弾を積んで発進、米軍によるベトナム攻撃の中心的な役割を担っていた。

そのB52が墜落した場所は、核兵器が貯蔵されていた知花弾薬庫(現・嘉手納弾薬庫地区)の真ん前、距離にしてわずか数十㍍、あと2~3秒で弾薬庫に突っ込んでいただろうといわれた。隠していたとは言っても、米軍基地の中に核を扱う部隊や施設が存在していることは、多くの軍雇用員や関係者が目撃しており、沖縄県民にとって核の存在は“公然の秘密”に過ぎなかった。(次回につづく)

2017年10月25日リンクURL

アリランの碑を訪ねて~韓国YWCA渡嘉敷島研修ツアー

今日(10月17日)は、韓国のYWCA沖縄研修ツアーの案内で渡嘉敷島へ行ってきました。私は平和ガイドの資格は持っていませんが、渡嘉敷島についてだけは、自分が生まれ育った島であり、実際に体験した人たち(家族・親族も含め)から直接聞いてきたこと、仕事を通して取材してきたこと、研究者の方々から学んだことなど、追体験として持っているものを、ガイドの依頼があったときに、皆さんにお伝えする役割をお引き受けしています。

今回は韓国の女性たちを案内しての渡嘉敷島でした。

<北山(ニシヤマ)展望台から慶良間海峡を臨む。あいにく台風の影響で今にも降り出しそうな曇り空。いつもは真っ青な海も座間味の島々もカスミがかかっていた>

 

渡嘉敷島は平和学習の地として県外・海外から多くの人たちが訪れます。それはこの島が沖縄戦の実相を濃縮した形で体現した島だからです。

沖縄戦には大きな三つの特徴があると言われています。その一つめは沖縄戦が敵と直接相まみえる過酷な地上戦であったこと。二つめは「集団自決」があったこと。三つめはこの小さな島にわかっているだけでも147か所にものぼる日本軍「慰安所」の存在。渡嘉敷島は、その三つを同時に知ることができる場所なのです。

特に「慰安所」については、147か所あったなかで唯一その中での女性たちの状況が明らかになっているのが渡嘉敷の「慰安所」です。

今回は詳細を記しませんが、韓国からの訪問団を案内する機会が多いのは、朝鮮半島から連れてこられた軍夫や「慰安婦」の方々を追悼するアリランの碑モニュメントがあるからでもあります。

モニュメントの碑は、「環生」・命の循環をテーマに沖縄の石材と島の土で焼いた陶板でデザインされていますが、碑の真ん中にある濃いグリーンの「玉」だけは韓国から運ばれたものだそうです。そしてその「玉」を通して見る海の向こうが朝鮮半島の方角です。

2017年10月18日リンクURL

米軍ヘリ墜落炎上~放射能物質飛散の恐れ

昨年12月のオスプレイ墜落からまだ一年もたっていない。こんな頻度で米軍機が落ちる事故が続いては、県民は安心して眠りにつくこともできない。県民の懸念が現実になっている。

11日には緊急抗議集会が、軍司令部前で行われた。

今回事故を起こしたCH53は、6月にエンジントラブルで久米島空港に緊急着陸した同じ機体であることも判明した。米軍は老朽化したCH35を安全が確保されないまま飛ばし続けていることになる。

そして今、最も懸念されているのが、放射能物質の飛散である。

米軍はマスコミの取材に対し、ヘリの機体の一部に放射能物質が使われていることを認めた。

昨日の琉球新報ウェブ版によると「米軍は、CH53Eのインジケーター(指示器)の一つに放射性の材料が使われていると認めた。沖縄防衛局と県は13日午後4時ごろから、現場周辺で初の環境調査を実施した。内周規制線内には入れなかったため、県は週明けにも改めて防衛局を通し立ち入りを申請する」という。

さらに14日、琉球新報ウェブ版によると、『放射能に詳しいい矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授が14日、炎上現場の風下で放射能測定したところ、放射線のベータ線が検出された。

米軍ヘリが不時着、炎上した現場地主の西銘晃さん(64)は矢ヶ崎氏の調査で放射線が検出されたことについて、記者団に対し、「出たと聞いて、びくっとした」と驚いた様子で語った。その上で「高江の若い消防団員が消火活動で(炎上した米軍ヘリから)10メートルくらいの近さにいた。彼らの健康診断も早くしてほしい」と心配そうに話した。さらに「真っ先には考えるのは健康被害だ。風評被害も怖い。確定したわけではないと思うが、(放射線が)検出されれば(この土地は)一生使えない」と声を落とした』

2017年10月14日リンクURL