今日(12月8日)の辺野古 ~「 あきらめない!」と闘い続ける沖縄の人たちを尊敬

 今日は、地域女性史研究会の例会が沖縄で開催され、全国から集まった女性史の専門家の方々を辺野古へご案内した。

往復に3時間をかけ、現地滞在時間40分という超タイトなスケジュールにも関わらず、それでも辺野古へ行きたいという皆さんの強い要望だった。

 ゲート前は降りて坐りこむことはできず、バスの車窓から、座り込みの人たちに手振ってエールを送るだけで通り過ぎ、浜のテントで、遠くに土砂投入が迫る護岸をみながら、スタッフの説明を受けた。

琉球セメントの安波桟橋で土砂を積み込んだ船が、大浦湾に5隻入ったという情報に、話を聞く側にも緊張感が走る

説明を受け皆さんは、「メディアの情報で知る限りでは、もう辺野古は止められないのではないかと思っていたが、まだ工事は序の口、しかも様々な障壁があって、新基地はできない!ということが理解できた。勝つまであきらめないと闘い会続けている沖縄の方々を尊敬する。県外に住む私たちに何ができるかを改めて考え、共に闘っていきたい」と感想を語った。

私も浜のテントは久しぶり、8年と5347日の看板、20年を超える闘いは、思うだけで気が遠くなりそうだ。

昨日、一昨日と400台近くも入っていたシュワブ工事用ゲートからの資材搬入はなかったという。

 

 

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詭弁!法律無視!やりたい放題! ~ 防衛局、安和桟橋から土砂搬出再開

辺野古から、名護市の端っこ安和までは車でおよそ30分。昼食もそこそこに12:30出発、13時には、安和桟橋に到着した。

 先週土曜日に来た時には一人しかいなかった警備員が、入り口と出口にそれぞれ十数名、「アリ一匹通さぬぞ」とばかりに整列していた。

私たちも負けずに,彼らの前に座り込んだ。

いつもながら、先頭に立つのは女性たち。

防衛局の職員数名が港の中へ入ろうとするのを阻止しようと、ゲート前で押し合いになった。20分ほど押し合い圧し合いの後、2度に分けて十数名が入った。

午後3時前、防衛局の職員に続いて、道向かいの琉球セメント(株)の構内から機動隊が出てきた。彼らが来るということは、積出作業のためのトラックが入るということである。

すぐにごぼう抜きが始まり、道端に造られたにわか作りの機動隊の檻の中に囲われてしまった。

目の前を次々と土砂を積んだトラックが入っていく。昨日、手続きの不備を認めて中止したばかりなのに、わずか1日で、いつたい何を根拠に作業再開できるというのか!

立ちふさがる防衛局の職員に大きな声で抗議をしながら、まさか!と思いながら駆け付けたが、ありえない出来事に悔しさのあまり泣き出す女性たちも。

港の構内では、ベルトコンベアーの入り口にどんどん土砂が運ばれ、桟橋の先端にある台船に積み込まれていった。

午後4時、防衛大臣が記者会見をして、「不備だった書類は提出したので、搬出を再開した。港に積んであった土砂は赤土防止条例違反と言われたので、使用せず、新たに運んだ土を直接ベルトコンベアーに乗せたので、条例違反ではない」と発表したという。なんという詭弁。

ここまで踏みつけにされる「沖縄」は、日本にとっていったい「何?」

早朝6時半に那覇を出発して、夕方6時に那覇へ戻ってきた。実に11時間半、長~い一日だった。

 

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「辺野古文子」と呼んで! ~ 今日(12月5日)の辺野古

早朝6:30の辺野古行きバスで那覇を出発。バスの中では、前日の琉球セメント安和桟橋からの違法な土砂搬出が、沖縄県の迅速な対応により、半日もせずして中止になった話題で持ちきりとなった。

安和桟橋で監視と抗議行動をしている市民らからの詳細な現場情報と、昨日平和市民連絡会が行った県庁各部署への要請行動が、県の迅速な対応に大きく寄与したことも報告された。

防衛局が県に不備な書類を提出し、その審査結果が出るのが短くても一月半かかる見通しという。それならば、年明け1月の中旬までは、土砂投入もないということになる。

朝、出発したとき那覇は雨だったので、レインコートに雨靴と、雨対策も万全にして出てきたが、辺野古に着く頃には雨は上がっていた。

心なしかみんな明るい気持ちでゲート前に座り込んだ。

宜野湾島ぐるみのメンバーは、今朝、辺野古へ来る前に、「本当に土砂搬出は止まったのか」と、確かめたくて安和桟橋に行って様子を見てきたとのこと。

昨日のように早朝からのトラックの動きはなかったものの、ゲート前の民間警備会社の人数が、辺野古ゲート前のような状況まで増えていた(先週土曜日は一人しかいなかった)という。

ほとんど毎日のように辺野古へやってくる彼は90歳をはるかに超える年齢。同じく宜野湾島ぐるみの仲間で90歳の女性もいっしょにやってくる。共に沖縄戦で多くの家族を失なった経験が行動の原点となっている。それは辺野古のマドンナ的存在88歳の島袋文子さんも同じだ。今日も元気に参加した。

県外からの参加者の多くが「文子さんは?」と聞くので、車いすで到着した彼女を、司会者が「島袋文子さんで~す」と紹介すると、すかさず文子さん、茶目っ気たっぷりに「辺野古文子で~す」と応えた。

この笑顔にみんなが励まされる。

警察車両がいつもの半分しかなく、10時前になってもトラックの動きもないことから、「今日は搬入はなさそう」との判断で、座り込みテントへ移動、各島ぐるみからの報告や、楽しく歌などが続いた。

11時過ぎ、安和桟橋から「作業再開の動きがみられる」との情報が入る。一気に緊張感が広がった。急遽、一部を辺野古へ残し、朝乗ってきた大型バスで、安和桟橋に駆け付けることになった。

 

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