いい正月で~びる!!

今年は コロナ禍で辺野古の元旦の儀式もなく、天候不良で故郷の慶良間島・渡嘉敷にも帰省することができなかったため、初日の出の写真がありません。
代わりと言っては何ですが、宜野湾在住の妹が撮影した虹の写真で新年のご挨拶をさせていただきます。
薄くてわかりにくいですが、二重の虹です!
願わくば 希望の虹でありますように!!
暮れ行く2020年。本当に大変な一年でした。2020年がどんな評価で後世に記憶されるかわかりませんが、さまざまな意味で、歴史に残る大転換の年となることは間違いないと思われます。
今日(12月30日)は、所用で南部に車を走らせました。(正確には、友人が運転する車ですが…) 
<知念半島の岬から遠く勝連半島を望む>
今日の沖縄は、この一年を象徴するような空模様です。いつもの青い空はどんよりとした厚い雲に覆われ、時折小雨がパラついています。風が強く、海は環礁沿いに白波が立っていました。
<知念半島から久高島を望む>
コロナ禍にあっても観光客が絶えないという神々の島・久高島も知念半島の対岸にあります。
久高島と対をなす聖地・斎場御嶽前の駐車場兼お土産品売り場兼レストラン兼休息所で昼食をとりました。
外食をしても、ご飯党の私は、沖縄ソバなんてめったに頼みませんが、他のメニューがあまりにバカ高くて、一番安いのがソバだったのです。それでも900円。観光地値段なんでしょうね。
明日の大晦日から正月にかけてごちそうが続きそうだと思うと、これでも全部は食べられず、だいぶ残してしまいました。一足早い年越しそば!となりました。
所用と言うのが、南城市にある「志縁の苑 うちなぁ」に、もろさわようこさんをお訪ねすることでした。
例年、夏は涼しい信州・長野で、冬は暖かい沖縄、両方を往来する合間の春・秋を土佐・高知で過ごすもろさわさんですが、今年はコロナ禍で春に沖縄にいらして以来信州にも高知にも戻れず、通年で沖縄滞在中です。
来年年明け早々に満96歳の誕生日を迎えられるもろさわさん。昨年は2度の骨折で、それぞれ三カ月の入院をなさるされるという大変な状況を、リハビリを力強くこなされて復活、その後酷暑の沖縄長期滞在とあって、高知や長野はじめ全国から「もろさわさんお元気でしょうか?」「お一人で大丈夫かしら?」という問い合わせが相次いでいます。
他の人にかまわれるのがあまりお好きでないもろさわさんなので、何かしらわざと用事をつくっては、時折お訪ねして、皆さんのお問い合わせにお応えするのが私のお役目と思って、今日もお訪ねしました。
お一人で外出こそできませんが、室内は歩行補助器を使って移動し、お食事も自炊していらっしゃます。とてもお元気でした。みなさんご安心ください。
一時間ほどおしゃべりをしてまいりましたが、「社会状況といい、政治状況といい、こんな状況下で死んでいる場合ではない!」と意気軒昂です。
つい先日発刊されたばかりの報告集「志縁」の、もろさわさんのメッセージの締めのことばが、「積み重ねてきた絶望の堆積がどんな祝福に転嫁するのか、これからが私の本番」、です。母親ほどの年の差があるもろさわさんに「これからが私の本番」と言われては、「70代で”年だから”などどいっている場合ではない!」と、私も自省しながら帰ってきました。
今年は大変な一年でしたが、もろさわさんがおっしゃる通り、これが「大きな祝福に転嫁する」可能性もあります。そしてそれはまた ” 今を生きる私たち次第 ”とも言えます。なので去り行く2020年を(コロナにも)「ありがとう」といって見送りたいと思います。
この一年間、ブログ「うちなぁ かな日記」をご愛読ありがとうございました。来年こそみんなの力で良い年にしましょう!
< 表>
辺野古バスの中で配られたチラシです。配った方の友人から送られてきたそうです。
この「ジュゴン新聞」をつくった方は、神奈川県で小学校の教師をしていらっしやるとのこと。地域のお祭りがあり、「あなたは沖縄へよく行っているようだから、皆さんに辺野古のお話をして」と、思いがけず声をかけられ、戸惑いながらも大勢の地域の人たちの前で、「沖縄の人たちが新しい米軍基地に反対して頑張っている」ことを話したのだそうです。埋められようとしているその海は「ジュゴン」も美しい「サンゴ」も「海亀」も住んでいる「命の海」だということも。
すると意外にも多くの人たちから「沖縄でこんなことが起こっているとは知らなかった」「辺野古のことをもっと知りたい」と好意的な反響があり、「知らないから無関心だったのだ」と気が付いたそうです。
そこで、思いついたのが「ジュゴン新聞」。子どもたちに、日本で沖縄の海にしかいないジュゴンを通して、平和と環境の大切さを伝えたのです。
< 裏>
子どもたちは、とても関心を持ち素直な気持ちでたくさん質問をしてきました。そして、このチラシをもって家に帰り、親やきようだい・家族に、目を輝かせて「ジュゴン」の話をしました。
今では「ジュゴン」でつながった絆が広がり、地域の有志たちで「沖縄に、もう米軍基地はいらない」と、駅前でスタンディングをするまでになっているという「うれしいお話」です。