8月1日から1週間所用で沖縄を留守にした。そのため、2日の県民大行動も、6日の水曜日の座り込みも参加できず、2週間ぶりの辺野古である。
いつも「シンドイなぁ!」と思いつつ通う辺野古だが、2週間も来れないと、不安な気持ちになり、ゲート前のテントでいつもの顔々を確認して、なぜだか気持ちが落ち着く。なんとも妙なものだ。
2週間見ないうちに、テント横の花壇でシークヮーサーの実がかなり大きくなっていた。あとひと月もすれば食べごろになりそうだ。



ゲート前の最長老島袋文子さんも元気に参加。彼女がいるだけで座り込むみんなが元気になる。

8月13日と言えば、思い出すのは沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故である。あれから21年がたった。宜野湾市に住むTさんが、事故当時のことを語った。「世界一危険な基地」を、米軍が自ら証明したような事故だった。
のちに宜野湾在住の市民らが作成した事故の記録集に戦慄したのを思い出す。 その一例、沖国大道向かいのアパートに住む女性が、いつもと違うヘリの飛行音に危険を感じ、ベランダ側の部屋で昼寝をしていた赤ん坊を抱きかかえて、隣室に移動したとたんベランダのガラス戸が炸裂した。あとで見ると、さっきまで赤ん坊が寝ていたベビー布団に、機体の破片が突き刺さっていた!という。母親の機転で奇跡的に命拾いをした赤ん坊も、21歳になったんだと思うと胸が熱くなる。
ヘリが直撃した沖国大は、夏休み中だったため、幸いにも死者など人的被害はなかったが、それは偶然に過ぎない。事故現場に市の消防や県警、宜野湾市長さえも、米軍が勝手に張った規制線から中に立ち入れないという日米地位協定の不平等の実態も露呈した(事故現場を警備する米兵が注文したピザの配達は入れた)。
辺野古新基地は、「普天間基地の一日も早い危険性除去」と詭弁を弄する日米政府。移設発表から30年もたち、今後工事が完成する見通しも立たないのに、どこが「1日も早い」などと言えるのか!こんな危険な基地はどこに移そうとも危険であることに変わりはない。しかも「日米共同使用、辺野古が完成しても普天間は使い続ける」と、ますます危険度は高まる。なんという欺瞞だ。 市民らが万難を排して辺野古に座り続ける深い想いはここにある。









海上抗議行動に参加する芥川賞作家・目取真俊さん自宅の家宅捜索や、安和事故で瀕死の重傷を負った女性を被疑者扱いする県警の対応は「辺野古基地に反対して抗議行動をする市民に対する恫喝である」として、オール沖縄会議など市民団体が抗議を重ねている。
いずれの案件も事故からかなりの日数が経っており(安和事故は昨年2月)、どうやら参議院選挙が終わるのを待っていたのでは?と言われている。