辺野古へ到着して真っ先に目に着いたのはこの看板。座り込み10年を期して書き換えられていた。私は、6日の県民大行動、先週水曜日(10日)ともに来れなかったので報告が遅れてしまったが、色も文字もおしゃれにすっきりして「さあ!また頑張る!」という気持ちになった。
作ってくださったのはこの方!
地元辺野古の住人・金城武政さん。ネット右翼に揶揄されたり、壊されたり、盗まれたりされても、コツコツ、淡々と地味な裏方を徹底して担ってきたこの10年。肝の据わった方だ。高校生のとき、母親を米兵に殺された悲憤の経験を持つ。
安和でのダンプ事故の影響で、安和と塩川港からの搬出が止まっているため、安和、塩川担当の人たちも辺野古へ参加、いつもより少し多めの人数で座り込んだ。
那覇から一緒のバスで来た方は、弁護士さん。「沖縄の米軍基地は、日本人の問題である。日本は米国から独立せよ!沖縄を解放しろ!」法律の専門家だけに文言に説得力がある。
こんなメッセージボードも持っていた。
いつもトイレを使わせてもらっている第二テントの畑で、たわわに実をつけたバナナ。眺めるだけで心が豊かになる。
2回目(正午)の座り込みは突然の雨。亜熱帯の夏特有のスコールだが、20分は続いただろうか、傘をさしていても肌着までびしょ濡れに。
昼食の後に、ゲート前カフェがオープン。コロナ禍の前は毎日開店していたが、久しぶりのお目見えである。あたりに心地よいコーヒーの香りが漂った。
三回目は打って変わって晴天。県警さんはまだレインコートを着ていた。
炎天下に恵みの雨、テント横の花壇で花たちが喜んでいた。
.