中村哲さんを偲ぶ会 ~ 具体的に自ら実践する人だった!

 活動中のアフガンで襲撃を受けて亡くなったペシャワール会の中村哲医師を偲ぶ会が、今日(4月10日)那覇市内の琉球新報ホールで行われた。
コロナ対策で蜜を避けるため、事前の呼びかけは控えめに行われたが、定員が半分になった会場は、ほぼ満席になった。

 

 県主催する「沖縄平和賞」の第一回目の受賞者であることから、玉城デニー知事も挨拶を述べた後も、最後まで「偲ぶ会」に参加されていた。

 

 

 

 

 

 

 メインスピーカーのお一人、ペシャワール会会長の村上優氏が、中村哲さんの足跡を紹介、ペシャワール会の今後の活動について語った。

<現地の人々に親しまれ、愛された中村哲さん>

 医師である中村哲さんは、医療援助で派遣されたが、医療以前に人が生きる子ために必要な「水」がないことから難民となり、命を落としていく人々を見て、「すべての問題解決の基本は水である」と気づき、井戸掘りや水路づくりを、自ら重機を操って行ったという。30年にわたる哲さんの活動で砂漠に緑がよみがえり、林ができ、森となって大地を潤し、いま人々が農業で暮らしが立てられるようになっている。

 

 もう一人のメインスピーカー、作家の澤地久枝さんは、忙しい中村哲さんに何年もかけてやっと3回会うことができ、インタビューした本を書いてる。「中村医師の人柄の深さ・魅力を伝えられるような本にしなければ」と、時間をかけて書いたことを話された。

 澤地さんは、数々のエピソード紹介された中で、国会に招致された中村医師が「自衛隊の海外派遣は有害無益」と断言、さる筋から発言を取り消すよう迫られたが、取り消さなかったこと。物事に当たるとき「何をするかではなく、何をなしてはいけないか」と考える人だった、など熱く語られた。

 「中村哲さん」、その人柄と実践を知れば知るほど、改めて「本当にすごい人だったんだなあ」という感慨が湧いた。

 

 

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