沖縄は憲法の最前線~2018年 憲法講演会・伊藤真氏

私たちは誰もが、政治や憲法に無関心でいられても、無関係ではいられない。

5月3日は憲法記念日。今年の憲法講演会は、弁護士の伊藤真氏を招いて、宜野湾市民会館で開催された。「私たちの憲法を考える~憲法のキホンのキから”改憲”問題まで」。憲法を解りやすく伝えるキーワード盛りだくさんの講演だった。

憲法と法律の違い。憲法は「国民が国家(権力)が暴走しないよう縛るためにある」。法律は「国家が国民を縛るためにある」。それからいうと、自民党の改憲案は、主語をひっくり返し、憲法で国民を縛ろうとしている。これでは権力はやりやりたい放題、国家権力の暴走を食い止めるものが何もなくなる。これも憲法問題の大事なキホンのキの一つ。

本来、国民には憲法を守る義務はない

政治家などに守らせる責任があるだけ

また、自民党などが目指している自衛隊の憲法明記については「9条が書き換えられることと同じだ」と指摘。仮に9条が残ったとしても、新しく追加された条項が優先される。

その上で「軍隊の持つ抑止力は、挑発力でもあり、二面性がある。今こそ国民が冷静になり、主体的に行動することが必要だ」と訴えた。

 

                 <憲法前文より>

主催団体から記念に久米島紬のネクタイを贈られ上機嫌の伊藤真弁護士。年間300回以上の講演を行う。伊藤塾を主宰し、若き法律家を育てる。自称「憲法の伝道師」

2018年5月4日リンクURL

辺野古の花 ~ ひめゆり学徒たちが愛したソウシジュ(相思樹)の花

辺野古への行き帰り、山原の山は豊かな自然の移り変わりを見せてくれます。
2週間ほど前から「いじゅ」の花が咲き始め、今週半ばから沖縄自動車道の沿道は、ウェディングドレスを思わせる「白い花をまとった樹」が多く見られるようになりました。

でも、イジュは雨の似合う花、梅雨までにはもう少し時間がありそうなので、今日は「ソウシジュ」をご紹介しましょう。

<金網の向こう>

    <金網のこちら。人々の向こうに見えるブルーシートが座り込みテント>

木々や花々は、基地の中も外も分け隔てなく咲き育ちます。自らの命を、与えられた環境でただ全うするのが彼らの使命なのでしょうね。メインゲート前の座り込みテントの横にも、大きな相思樹の花が満開です。

高さ5メートル以上にもなる大きな樹ですが、花は鮮やかな黄色いコロッとした小さな花をたくさんつけます(4月中頃から5月頃)。ボンボリ状の小さな花が、コロコロと散り落ちる様も風情があります。

相思う樹と書いて「相思樹(ソウシジュ)」と読むロマンチックな名前の由来には、

中国・宗の時代に、暴君によって引き裂かれた男女の悲しい物語があるようですが、話が長くなりすぎますので、それは次の機会にとっておくことにして、

 

実は、沖縄の人たちには「ソウシジュ」への深い思い入れがあります。

ひめゆりの塔の横にあるひめゆり資料館に入ると、流れてくる静かなメロディがあって、「相思樹の歌」というタイトルがついています。

別名「別れの歌」とも呼ばれるこの歌は、「ひめゆりの乙女たち」が卒業式に歌うはずの歌でした。

彼女たちの母校(沖縄師範学校女子部と第一高女)は、現在の那覇市安里にあり、相思樹並木をくぐって登下校していました。

ひめゆり学徒隊と呼ばれた彼女たちは、学業半ばに看護要員として戦場に駆り出され、若い命を散らしただけではなく、沖縄戦が始まる前から、日本軍の陣地の壕堀りなど勤労奉仕に明け暮れ、授業どころではありませんでした。

当時、 高射砲陣地を造る指揮をとっていた太田博少佐(福島県郡山出身)は、そのような女学生たちに心を寄せ、間もなく卒業式があると聞いて、はなむけに「想思 の歌」という詩を贈ったのです。その詩に、当時の音楽教師・東風平恵位さんが曲をつけました。それまで軍歌ばかりを歌わされていた彼女たちは、胸に浸みる歌詞とメロディに喜び、卒業式に備え胸躍らせて一生懸命練習していました。

しかし、卒業式に歌うよう指示されたのは、軍歌「海行かば」。ついにこの歌は歌われることはありませんでした。ひめゆり学徒隊240名(内引率教師18名)中、戦死者135名。地獄と紙一重の過酷な戦場で、彼女たちを励まし心の支えになったのがこの歌だったのです。

以来、ひめゆり学徒の愛唱歌として、今日まで歌い継がれているのです。

        相思樹の歌      

日に親し  相思樹並木         
往きかえり  去り難けれど
夢の如  疾(と)き年月の
往きにけん  後ぞくやしき

学舎の   赤きいらかも
別れなば  なつかしからん
吾が寮に  睦みし友よ
忘るるな  離(さか)り住むとも

業なりて  巣立つよろこび
いや深き  嘆きぞこもる
いざさらば  いとしの友よ
何時の日か  再び逢わん

微笑みて  吾等おくらん
すぎし日の  思い出秘めし
澄みまさる  明るきまみよ
すこやかに  幸多かれと
幸多かれと

◇作曲の東風平恵位さんは、隠れていた防空壕にガス弾を撃ち込まれ、数名のひめゆり学徒と共に戦死。

◇作詞の太田少佐は、地元福島で「無名詩人」と称される文学青年でした。昭和20年6月20日糸満市米須で米軍に切り込み突撃、壮絶な戦死を遂げたといわれています。享年25歳でした。

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