イチャリバ チョウデー(出逢えばきょうだい)

沖縄に少しでも関心のある方なら
一度や二度は耳にしたことのあることばではないでしょうか。

イチャリバ チョウデー
一度出逢えば きょうだいも同然、という意味です。

「袖振り合うも多生の縁」とか
「出会いに偶然はない」とも言いますので
けっして沖縄だけの考え方ではないと思いますが、

そのことばが、いまも社会に生きて使われているかという意味では
沖縄は飛び抜けていると思います。

 

夫婦シーサー

夫婦シーサー

私の友人のお父さんは、個人タクシーのドライバーです。

観光客を乗せる機会が多く
よくタクシーのお客さんを自宅に連れてきては、酒食のもてなしをしたうえ、自分も飲んでしまったので、ホテルまで送れないからと、タクシー賃まで渡して帰すのだそうです。                                                イチャリバチョウデーですからね。

 

ある時は、台風で飛行機が飛ばず、東京へ帰れなくなった若いカップルを自宅に連れ帰り、3日間も宿泊させたこともあったとか。もちろん無償でです。

これが「イチャリバ チョウデー」の心です。

 

また、これは東京の友人たちから聞いた話です。
女性だけ3人でタクシーを貸し切り、南部の戦跡巡りなどしたあと
「沖縄料理のおいしいお店を紹介してくれ」と言ったら

「どんな店の沖縄料理より、うちの女房の料理がうまい。よろしければ我が家へ」と、
誘われたのだそうです。

一日中車で案内して貰って気心も知れ、確かに悪い人ではなさそうだけど
東京ではあり得ない話にさすがに尻込みして断りました。が…

イチャリバ チョウデー、遠慮はいらないよ」とあまり熱心に誘うので、
3人だから大丈夫!という集団心理と
沖縄の普通の家庭の雰囲気も知りたいという好奇心が働いて
ついていったら

奥さんどころか
おじいちゃん、おばぁちゃん、子どもたち、お孫さんまで十数名の大家族に歓待され
翌日、ホテルで目覚めたとき
「竜宮城から帰ってきた浦島太郎」状態だったといいます。

以来、20年近く、彼女たちは
東京、広島、北海道、そして沖縄と遠距離を繋いで、家族づきあいが続いています。

 

似たような話はよく聞きます。
ちょっしたことで知り合った沖縄の人に、他人とは思えないもてなしを受けて、              きょうだいのようなつきあいを続けていると。

でも、かのタクシードライバーも誰でも家に招くわけではないと思います。                彼女たち3人にも響き逢う何かがあったのではないでしょうか。

楽シーサー

楽シーサー

 

イチャリバ チョウデーと同じような意味で

屋久島では「島いとこ」と言うそうです。

もう10年ほど前のこと、環境問題の活動をしている仲間たちと屋久島に調査旅行をしました。
私たちのガイドをして下さった方が
「今日から、私と皆さんは島いとこです」と言って下さいました。

沖縄では「きょうだい」、屋久島では「いとこ」
表現は違いますが、家族も同然というその心持ちは同じですね。

 

先述のタクシードライバーの話に戻りますと
竜宮城体験をした3人娘、当時はまだ20代だったので、
はじめは「エッチなおじさんかも?」と疑ったそうです。たしかに、そこは見極めが肝心ですよね

私も、沖縄に「変な人はいません」と
絶対を保証するものではありません。
くれぐれも、そこは自己責任、ということでよろしくお願いいたします。

2013年3月1日リンクURL

ぬちぐすい(命薬)

沖縄の食文化は医食同源とか薬食同源と、よく言われます。
食べるものは、即命の糧にもなれば、毒にもなる。
病は食の過ち!
よって、食べ物は命の薬になるようなものでなければならないと
沖縄の先達は考えたようです。

そんな考え方が元になった言葉、それがぬちぐすい(命の薬)です。

おいしいものをいただいたら、「ぬちぐすい ヤッサァ(だなぁ)」と言います。
それが おいしいね!と同意語なります。

 

ぬちぐすいは、食べ物だけに言うわけではありません。

いい音楽を聴くとぬちぐすい だね」と言い
いいお話しをきいても「ぬちぐすいになったね」と言い
温泉にはいっていい気持ちになったらぬちぐすい!ぬちぐすい!」と言い
すばらしい景色をながめてもぬちぐすい」と言う。

すべからく感動をいただいたら
ぬちぐすい だね!」と感謝するのです。

心や身体にいいもの、それがすべてぬちぐすい

これから沖縄の「ぬちぐすい」になる話題あれこれを拾い
「うちなぁ ぬちぐすい紀行」として紹介していきたいと思っています。

 

道端に 名も知れず咲く

ちなみに、最近 氣功を学びはじめた私は
それこそ究極の「ぬちぐすい」出会ったと、思っています。

その話題も追い追いお伝えしていきます。

2013年2月18日リンクURL

うちなぁぐち(沖縄語)しましょう!

 

最近では、方言とは言わずうちなぁぐち」、もしくは「島ことば」といういい方が定着してきました。
言語学的にも、日本語の一部ではなく、沖縄語として認められているようです。

このところ、行政でも 窓口で「うちなぁぐち」を話せる職員を養成したり、せめてあいさつだけでもうちなぁぐちでと奨励する病院など公共施設も増えました。

 

昨今の若者たちは「うちなぁぐち」を使えることが、カッコイイと受け止められているようですが、実はうちなぁぐち、ついひと昔前までは方言と呼ばれ、ダサイ、カッコワルイ言葉だったのです。

特に戦時中には、「方言を使う者はスパイ」と決めつけられ、日本軍から処刑された沖縄の住民は数知れません。

戦後生まれながら、学生時代に「方言札」や「標準語励行」の洗礼をうけた世代としては、こういう時代が来るとは、夢にも思いませんでした。
隔世の感がします。

必要以上にナショナリズムをあおるのは好きではありませんが、何を隠そう私も、沖縄文化の原点である「うちなぁぐち」を愛する一人です。

私のこのうちなぁぐちへの想いは、沖縄の伝統芸能であ「琉球舞踊」を40年近くやってきたことも大きいですが

もっと根っこに、おばぁちやん子として育ったことがあると私自身は感じています。

祖母の腕枕で聞いた子守歌、
嬉しいにつけ、悲しいにつけ祖母が歌っていた民謡、
祝いの座で踊るカチャーシー(型のない自由舞い)、

私が悪さをしたときや、わがままを言ったときのお小言までが、即興の歌だった祖母の姿が、身体の芯まで染みこんでいるのです。

うちなぁぐちを知らない人に沖縄を語るとき、
うちなぁぐちでなければ表現できない微妙なニュアンスがあって
相手に伝わらないもどかしさを 感じることがよくあります。

とは言っても、標準語励行世代の私は、うちなぁぐちが あまり流暢にはしゃべれません。
何それ?と言われそうですが、聞くことはほぼできるのです。
「英語で論文も書くが、英会話は苦手な日本人」をイメージしていただければ、納得していただけるでしょうか。

日本人は、以心伝心が得意(魂が進化するとテレパシーで通じるとか)だけど現実には言葉にしなければ伝わらないこともたくさんあります。
沖縄を知っていただくために、これから随時このブログで、沖縄の言葉、うちなぁぐち・島ことばの紹介していきたいと思います。

興味のある方は どうぞお付き合い下さい。

2013年2月15日リンクURL