明日・県庁包囲(人間の鎖)~知事の辺野古埋め立て不承認を求めて

座り込み 新聞

 

仲井間知事が「今週中に決断する」としている辺野古埋め立ての不承認を求めて、去る16日から市民団体が県庁前で座り込みを続けている。

 

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寒空の下、朝10時から夕方6時まで、多くの人たちが日常生活の合間を縫って、わずか30分でもと仕事の昼休み時間を利用してとか、1時間、2時間ならと駆けつける人、野嵩・伊佐のゲート前行動に引き続いて県庁前にやってきて座り続ける人たちもいる。

「沖縄の歴史に、未来を担う子供たちに禍根を残さない判断をしてほしい!」 必死の思いで座り込む人たちの姿に、座り込む時間のない人たちからは、差し入れのお菓子屋や果物、昼時にはおにぎりやお惣菜も届く。カンパをしていく通行人もいる。

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中には、東京から、福岡から、京都からリュック一つで駆けつけたという人たちもいる。

この方は東京から「居ても立っても居られないからやってきた」という。2日間ビラ配りをした。特に、観光客でにぎわう国際通りで、「沖縄以外の日本人の無関心が、沖縄を追いつめている」と、訴えていた。

 

一方の仲井間知事は、上京したまま「腰痛の検査入院」と称して、一週間以上も東京に居続けている。

この間に政府要人と何度も会い、埋め立て承認の交換条件とも受け止められかねない要求(普天間基地の5年以内閉鎖や、来年度予算の増額)を出し、県民に不安を抱かせている。

要求への回答を求めて安倍総理と会うという仲井間知事へ、県民からの「不承認」の強いメッセージを込めて

明日、12:15~45分まで県庁を人間の鎖で囲む「県庁包囲行動」を、市民団体が行う。

多くの県民の参加を!!!!!

 

 

 

2013年12月24日リンクURL

豆苗はお好きですか?

私は、大好きです。豆苗!
おひたしにしたり、いためたりすると
一人で1パック、ケロッと食べてしまうくらいです。

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その豆苗ですが、一つで三度おいしい!ってご存じでしたか?
豆苗好きの方なら、たぶん大抵ご存知だと思いますが、

根がついたままのパックを買うと
調理する際に、料理ばさみか包丁で根っこから2~3センチのあたりで 刈り取るようにカットするわけですが

 

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残った根(豆)を、そのまま水に浸しておくと、また新芽が出てきて
5~6日では、買った時と同じくらいの量と大きさに成長します。
しかも、一度だけではなく2度も

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3~4日はなかなか芽が伸びず、「ダメなのかな~!」とあきらめかけていたら、5日目、夕方帰宅するといきなり4~5センチも伸びていました。

さすがに3度目は、細いのが3~4本ひょろっと出てきただけでしたが
(それでもお吸い物の吸い口や、煮物・焼き物の添え物くらいにはなります)
1パックが3パックになるわけですから、
こんなにありがたいことはありませんよね。

 

豆苗を作っていらっしゃる農家の皆さんには なんだか申し訳ない気もしますが
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ところがです。最近、知り合いが豆苗を生産するファームを運営していること知り、スーパーで探したら、ありました!沖縄県産豆苗!

 

 

 

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しかも、そこには書いてあったのです。「残った根を水に浸していると、新しい芽が出てきて再収穫できます」と。さすが!

 

まだやったことがない!という方は
どうぞ一度はお試しください。

植物の底力、生命エネルギーの息吹を感じる瞬間です。私たち人間は植物の命をいただき栄養に変えて吸収しないと生きて行くことができません。

こんな些細なことを通して、改めてそのことに身に感じ、感謝と喜びの気持ちが湧いてきました。

2013年12月19日リンクURL

山崎豊子さんと沖縄

作家・山崎豊子さんが亡くなられた。

新聞記者時代に培った取材力を駆使して
社会の闇に切り込み、不正義・不条理を鋭く突いた作品が 持ち味だった。

まだ新聞社に女性の記者が少なかった1944年に毎日新聞入社、
今なお男社会の権化のようなマスコミ界において
男性ならしなくていい苦労をし、いわれのない性差別を受けながら記者時代を過ごし、
後に作家としての立ち位置を築いてこられたのではないかと想像する。

編集者たちから取材の鬼と称されているように
テレビドラマ化された「大地の子」を書いたときは
中国に3年も暮らしながらこの作品を書き上げたという。

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沖縄をテーマにした「運命の人」を書いた時も、長期間沖縄に住み、たくさんの人に会い、さまざまな場所に行き、民族、文化、歴史など徹底的に取材しつくしたという。

大好きな作家だったし、仕事柄、けっこう著名人(芸能・文化人、政治家など)に会う機会に恵まれていたが、山崎さんにはついにお会いする機会がなかった。

聞けば、マスコミ嫌い、というか「作家は原稿用紙の升目を埋めるのが仕事」という 考え方の方で、めったにテレビや雑誌の取材には応じなかったらしい。

「運命の人」は、沖縄返還の際の 日米政府による「沖縄密約事件」を題材にした長編、沖縄に関心を持ったのは、 「ひめゆり平和資料館を訪れたのがきっかけだった。
語り部の証言に涙し、今まで知らないでいたことを悔い
沖縄を書かなければという思いが募ってきた」(作家の使命ー私の戦後より)

「運命の人」では、沖縄の犠牲の上に成り立つ日本の繁栄の欺瞞性をついた政治部記者に心を寄せつつ、かつて自らも身を置いた組織ジャーナリズム(新聞)への批判も込めた私たちは沖縄に迷惑をかけたのではない。犠牲を強いたのです」(共同通信記事より)

「沖縄に住んでこそ実感できたこの不条理を、もっと国民が知らなければならない」琉球新報 5日付朝刊・金口木舌より)と語っている。

いま、このような感性を持った人は、マスコミ界だけでなく
この国の行方を牛耳る官僚や政治家の中にはいほとんどない。

ホウオウボク(鳳凰木)

ホウオウボク(鳳凰木)

奇しくも昨日(4日)は、日米の外交・防衛担当閣僚による安全保障協議会(2プラス2)が開かれ、
「辺野古は唯一の解決策」と、沖縄にさらに犠牲を強いることで、日米の安全保障を強化する取り決めをしたという報道が、山崎さんの記事と同じ紙面を埋めた。

山崎豊子さんにはもっと長生きして、
沖縄のことを書き続けてほしかった。

心からご冥福をお祈りします。

2013年10月4日リンクURL