米兵による性暴力の被害者は、「あなた」だったかもしれない!「わたし」だったかもしれない。「あなたの妻」だったかもしれない、「私のこども」だったかもしれない。
そもそも軍隊とは、人を殺すことが仕事の「構造的暴力」です。基地・軍隊がある限り兵士による性暴力は起こり続けます。根絶するには、根源的原因である基地・軍隊を無くすしかありません。それには武力に頼らない平和・安全保障を確立することが必要です。
米兵による性暴力の被害者は、「あなた」だったかもしれない!「わたし」だったかもしれない。「あなたの妻」だったかもしれない、「私のこども」だったかもしれない。
そもそも軍隊とは、人を殺すことが仕事の「構造的暴力」です。基地・軍隊がある限り兵士による性暴力は起こり続けます。根絶するには、根源的原因である基地・軍隊を無くすしかありません。それには武力に頼らない平和・安全保障を確立することが必要です。
出版界でこれほど名を成した人が、これほどのことをしでかして「悪意はなかった」で済まされるはずはない。しかも防衛相の広報アドバイザーだったとは!ますます信じられない。本当に悪意が無かったとすれば、大したことではないと沖縄を軽く見て、意図的かつ気軽に書いたということだ。ますます許せない。大手出版社の講談社も同罪。
昨日(25日)は、昨年12月に起きた米兵による少女誘拐・性暴力事件第4回公判が那覇地裁であり、私も傍聴券の抽選に並んだ。4度目の正直で、はじめて傍聴券を得ることが出来た。
検察、弁護側それぞれの論告の後、証言席の被告が、第一回公判と同じようにあまりにも堂々と「私は無罪です」と発した言葉に、傍聴席から一瞬苦笑と怒りのどよめきが起こった。
さらに被告は「(訴えられたことで)僕はすべてを失った。時間も、お金も、家族も。僕の名前は不名誉なかたちで世界に知られてしまった」と、自分が傷つけた少女への痛み、彼女が失ったものの大きさへは全く思いが至らないばかりか、まるで自分が被害者であるかのように訴えた。
性暴力に対する司法の被告弁護士の論告といい、裁判官の被害者への質問といい、性暴力に対する認識はあまりにも旧態依然としていることに唖然、失望感に襲われた。審理はこれで結審し、12月13日に判決が言い渡されるが、判決は社会の反映でもある。その内容によっては、司法だけでなく、日本社会の後進性を世界にさらけ出すことになる。