それでも私たちはあきらめない ~ 豪雨の中で 6月19日の辺野古

 那覇を出るときは雲ってるだけだったが、やんばるの方は降っていそうだ。ほどほどであってほしいと祈るような気持ちで辺野古へ向かう。

 雨に煙る恩納岳。かつて、人々の心の拠り所である聖なる山に実弾を打ち込む米軍演習に、若者たちが着弾地の山の中に立て籠もり命懸けで抵抗した喜瀬武原闘争の地である。 

 伊芸のパーキングエリアでトイレ休憩をとっていると、自衛隊の戦闘車両が2台。自衛隊が制服や迷彩服で民間地を動き周ることなんて、つい最近までありえなかったが、このところ頻繁に見かけるようになった。見るだけで腹が立つ!

 メインゲート前のテントに荷物を置き、歩いて工事用ゲートに向かった。

 途中、雨で赤く濁った辺野古ダムに驚く。名護市民の命の水がめである。辺野古関連の工事に伴う森林伐採などで、雨のたびに赤土の泥水になる。そして、さらにこの水が辺野古の海へと流れ、珊瑚やジュゴン、海の生き物たちを苦しめていると思うとたまらない気持ちになる。

 毎朝座り込みにやってくる大先輩・仲村さん、「県議選の結果がどうであろうと戦争につながる辺野古基地反対する私たちの意志は一歩も揺るがない。心を合わせて頑張ろ!」と気合を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後から大雨の予報だが、幸い一回目の座り込みの間はほとんど雨は落ちなかった。

 

 

 

 

 

   <ゆうなの花>             <ハイビスカス>           

 2回目座り込みの間は、休憩をとりながら県議選の結果について話し合った。多くの人が手をあげ意見を述べた。

「負けた要因にの一つはオール沖縄側の立候補者の調整が出来なかったこと。候補者が乱立して共倒れになってしまった。かつてのように調整力のある大物政治家がいなくなって、どの党も我が党第一で譲り合わなかった。そして共産党の衰退。失った4議席のうち3議席が共産党。そして何より辺野古や自衛隊問題を全体的な争点にすることが出来なかったこと、史上最悪の投票率(なんと5割を切った)、それらすべて自民党に利することばかりだった。

 でも、本番はこれから。本番とは2年後の知事選。ある意味負けてよかったかもしれない。本番に向けて自分たちの弱点に気づいた。反省を生かして本番に向けて、地道に取り組んでいこう!」チルダイ(気落ち)している場合ではないと、結論は前向きにまとめられた。

 正午前、2回目の座り込み。那覇からの2台目のバスも到着して人数も増えた。

  

 

 

 

 

 2回目の座り込みが終わるのを待っていたかのように、土砂振りの雨。テントの中も、洪水のように水が流れた。

 止まない雨に2時半すぎ3回目の座り込みはやむなく中止の決断。高齢者が多いこともあり、躰を壊しては元も子もないと…。

2024年6月20日リンクURL

朝鮮人元「軍夫」を悼み 故安里英子代表を偲ぶ ~ 「恨の碑の会」追悼会 ②

 追悼式は、雨を避けて午後2時から読谷村文化センターで執り行われた。

 読経に合わせて参加者全員が、沖縄戦で犠牲になった元「軍夫」と、3月に急逝した故安里代表に花を手向けた。(写真は若き日の安里英子さん)詩人であり、随筆家、沖縄女性祭祀の研究などで知られる。

 遺族をはじめ恨の碑のレリーフを制作した金城実さん、韓国からも太平洋戦争被害者補償推進協議会 イ・ヒジャ共同代表が駆け付け、「恨の碑」建立に尽力した安里さんとの思い出を語り、在りし日を偲んだ

  また、中野夢さんの琉球笛の演奏、海勢頭豊さんの歌、普天間基地野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会の讃美歌の合唱で追悼した。

 

 

2024年6月16日リンクURL

朝鮮人元「軍夫」を悼み 故・安里英子代表を偲ぶ ~ 「恨の碑の会」追悼式①

 慰霊月6月、沖縄中各地で沖縄戦の犠牲者を悼む慰霊祭が行われている。今日(15日)は、読谷村瀬名波にある「恨の碑」の慰霊式に参列した。

 去る大戦で日本軍に強制連行され、犠牲となった朝鮮人軍夫や従軍「慰安婦」の事実を後世に伝える「恨の碑」(2006年建立)。「軍夫」「慰安婦」いずれもその実数は未だ定かではない。数万とも十数万ともいわれている。 

 深い木立に囲まれた碑は、2.7m×2mの銅板に刻まれた3人の像を刻むレリーフ。目かくしされ後ろ手にしばられて連行される若者、脚元に座してアイゴ!を叫んで慟哭する母の姿、銃を構えているのは日本兵。読谷村在住の彫刻家・金城実さんの作である。

 今年は、去る5月に急逝した故・安里英子代表を偲ぶ会を兼ねた追悼式となった。例年は恨の碑の前で行われてきたが、前日からの豪雨を考慮して、今年は読谷文化センターを会場に行うに先立ち、午前中に恨の碑の前で、読経が行われた。 

 碑文に刻まれた言葉に胸をえぐられる。戦争の無残の極みがここにある。決して二度と繰り返してならない。

 

この地に果てた兄姉の碑に

           安里英子

 この島はなぜ寡黙になってしまったのか

何故語ろうとしないのか

女たちの悲しみを

朝鮮半島の兄姉たちのことを

 

引き裂かれ 連行された兄たち

 灼熱の船底で息絶え

 沖縄のこの地で手足をもぎ取られ

 魂を踏みにじられた兄たち

 

戦が終わり時が経っても

 この島から軍靴の音が絶えることはない

 奪われた土地、消えたムラ、女たちの悲鳴は続き

 人々の心は乾いたままだ

 

兄たちよ

 いまだ供養されず石灰岩の裂け目に埋もれる骨、骨、骨

 故郷の土饅頭に帰ることもかなわない

 兄たちよ

 

 私たち沖縄人は

 未だ軍靴に踏みにじられたままの

 兄姉たちの魂に

 深く頭を垂れる

 

 日本軍の性奴隷として踏みにじられた姉たち

 軍夫として犠牲になった兄たちに深く頭を垂れる

 やがて固く結んだ鳳仙花の種が弾け

 相互の海を越えて花咲くことを信じて

 

兄姉よ、

 あなたたちの辿った苦難を語り継ぎ

 地球上から戦争と軍隊を根絶することを

 この地に果てた兄姉の魂に

 私たちは誓う

 

2024年6月15日リンクURL