今日(9月16日)の辺野古~第一ゲート完全封鎖

翁長知事の「承認取り消し」表明を受けて
辺野古キャンプ・シュワーブゲート前の抗議行動は
15日から工事車両専用ゲート(第一ゲート)を完全に封鎖する形で
新たにテントを張り、24時間の監視・座り込みが行われている。

DVC00003.JPG

150916_112748

この日もゲート前には県内外各地から入れ替わり立ち代り
大勢の人たちがやってきた。

150916_115240

このご夫婦は共に50年前集団就職で故郷・沖縄を離れ、現在も名古屋に住んでいる。
つい一年前までは周囲の人たちに「辺野古」の話をしても
「それって何?」と言われるのが普通だった。今は多くの人たちが関心を持って聞いてくれる。沖縄への共感は広がっている。自分のいる場所でできることを精いっぱいやりたい」と故郷への思いを熱く語った。

 

具志堅さん

具志堅隆松さん

ガマフヤーの具志堅隆松さん。
沖縄戦で亡くなった人たちの遺骨収集を、ボランティアで長年続けている奇特な方だ。
太平洋戦争で亡くなった日本人の遺骨80万人以上が、いまだに収集されないままであるという。国内では沖縄がそのほとんどを占める。

「このキャンプ・シュワブは大浦崎捕虜収容所があつた場所で、ここで亡くなった人たちの埋葬地があった。戦後すぐに基地が作られたため立ち入りができなくなり、遺骨が収集されないままである。戦後処理も十分にされないまま、また新しい基地をつくることは許されない」と訴えた。

いまも沖縄戦で亡くなった父親の遺骨を探し続ける塩川さん

いまも沖縄戦で亡くなった父親の遺骨を探し続ける塩川さん

具志堅さんに発言を促されたこの方は佐賀県の塩川正隆さん(71)。19777年から150回以上も沖縄に通ってきているという。もちろん観光などではない。沖縄戦で亡くなった父親の遺骨を探し続けているのだ。
父・正満さんは塩川さんが生まれて一週間後に召集され、「沖縄の糸満で戦死」の公報が届いたが、遺骨の代わりに届いたのは一塊の石ころだった。

1977年から父親の遺骨を探して沖縄に通いながら、95年からは叔父が亡くなったフィリピン・レイテ島へも通い、戦没者の遺骨収集や130以上の遺品を遺族へ届ける活動を40年近く続けている。

このほど沖縄で戦死した父や、その遺骨を探し続けてきた自らの半生を綴った著書「ものいわぬ人々にー若者を戦場に送るな」を出版した。
「沖縄には戦後70年たっても、埋まったままの防空壕がたくさんあり、そこには沖縄県民が眠っている実態も知ってほしい」と基地の中の人たちへも訴えかけた。

「戦争へ繋がる基地の建設は許せない」思いを新たにした今日の辺野古ゲート前だった。

 

※ガマフヤー:「ガマ」は洞窟や壕など。フヤー:掘る人。埋没した防空壕などを掘り起し、遺骨を収集してきた具志堅さんは自らをガマ(壕)を掘る人「ガマフヤー」と称して活動してきた。

2015年9月18日リンクURL

翁長知事 辺野古埋め立て承認の取り消しを表明

翁長知事は14日県庁で記者会見し、辺野古の新基地建設について、
前知事の承認には手続きに法律的な瑕疵があつたとして
取り消すことを表明した。

14日 沖縄タイムス号外

14日 沖縄タイムス号外

取り消しの手続きには1ヶ月ほどかかり
実際に取り消しが行われるのは10月中旬となるとのこと。

これに対し国は、
法律的に対応しながら「取り消しても工事は進める」としており
辺野古の海上やゲート前で新基地に反対して闘う市民の抵抗が
今後さらに重要かつ厳しくなると予想される。

2015年9月15日リンクURL

辺野古海上作業再開

集中協議の決裂を受けて、沖縄防衛局は今朝6時半過ぎから海上作業を再開、
立ち入り禁止を示す黄色いフロートを張りを始めた。

ゲート前で、工事再開を警戒して前夜から泊まり込みで監視を続けていた抗議議の人たち120人や、海上では、カヌーや抗議船が工事再開に抗議と抵抗を続けている。

DVC00019.JPG

 

一方、翁長知事は週明け14日(月)にも前知事が出した埋め立て承認の取り消しを
表明するという。

詳しくは 琉球新報電子版号外で http://ryukyushimpo.jp/

 

 

 

 

2015年9月12日リンクURL