今日(2月25日)の辺野古~明るく、楽しく、しなやかに、そして したたかに

今日不屈の座り込み965日目を迎えた辺野古。延べ200人以上が集まったが、2度機動隊の強制排除(ごぼう抜き)にあい、7台の工事車両の出入りを許してしまった。

毎週土曜日は、赤嶺衆議院議員がゲート前に駆けつける。赤嶺議員の国会報告はいつも的確でわかりやすい。

今日も、いま安倍総理が集中的に追及されている「森友学園」問題が話題になった。

幼稚園から教育勅語を教え込む超偏向教育を行っている学園の名誉校長を総理夫人がつとめているだけでなく、建設にあたって、国有地がただみたいな値段で払下げられていた。

                  <国会報告をする赤嶺衆議院議員>

野党の厳しい追及に、自分は知らないと白を切り、「自分や妻が、もし関わっていたら、総理も国会議員もやめる」と、言ったらしいが、平気で前言を覆す人だからね、なにしろ。野党には、今度こそしっかり追及して貰いたいものだ。

< 9時前と正午過ぎの二回、ごぼう抜きに合う>

みんなが座り込んでいる目の前で、トイレ送迎車が追突されるという交通事故があり、事故処理のため抗議行動は、一時間以上ストップした。

            今日も全国からさまざまな人たちがゲート前を訪れた。

大量のサーターアンダギーの差し入れがうれしい。元気をもらう。

2017年2月25日リンクURL

山城博治さんたちの即時釈放を求める大集会に2000人

今日(24日)午後3時から「山城博治博治さんたちの即時釈放を求める大集会」が、裁判所前の広場(城岳公園)で開かれ、2000人の県民が、4か月を超える不当な長期拘留に抗議した。

 

釈放を求める会の仲宗根会長は、元裁判官の知識と経験から、山城博治さんの逮捕・拘留がいかに不当で違法なものであるかを説明、「博治さんは逮捕されるような悪いことは何もしていない。こんなに長い間拘留され、家族にも会わせてもらえないないんて、よっぽど悪いことをしたのだろうと、国民に思わせるための安倍政権の策動だ」と、怒りの声をあげた。

 また、弁護士として毎週博治さんと接見している照屋寛徳参議院議員は、「博治さんは大変元気」と報告。「博治さん本人の希望で、ホッカイロの差し入れを家族に頼んだところ、裁判所は全国的に例がないと認めてもらえなかった。それでも奥さんが粘り強く通い続けて交渉、5日間かかってやっと差し入れを認めさせた」と、エピソードを紹介した。

靴下の差し入れも何か月もかかってやっと認めさせた経緯がある。病を抱える博治さんにとって、身体の冷えは大敵。強大な権力が、こんな嫌がらせをするとはミミッチイいが、受ける側にとっては命取りにもなりかねない。

元・早稲田大学教授の鹿野政直氏が「かつては、山城さんの存在が戦う沖縄のみんなをつないだ。今は、その不存在がみんなをつないでいる」という言葉を博治さんに伝えたところ、博治さんは号泣したという。

集会の決議文を裁判所に届けるため、代表たちが中に入っている間、参加者が裁判所の庭を埋め尽くした。

集会終了後、裁判所から那覇高校の裏を通って、国際通りを経て県民広場まで、デモ行進を行い、道行く人々に理不尽、不当弾圧を訴えた。

 

裁判所の庭の桜は満開だが、沖縄に本当の春はいつやってくるのだろうか。

 

2017年2月24日リンクURL

今日(2月18日)の辺野古~政府は恥を知れ!

この日は、午前10時から抗議船やカヌーによる海上パレードが行われたため、ゲート前は、いつもの集中行動日に比べて、人数が極端に少なかった。

私も抗議船に乗って、海に出たい気持ちは山々だったが、これ以上人数が減っては、工事車両に入られてしまう懸念があったため、踏みとどまった。

が、相手(機動隊)も、人数が少ないことは百も承知。海上パレードが始まる10時に合わせるかのように機動隊がやってきて、ゴボウ抜きが始まる。

悔しいかな、たちまちごぼう抜きされ、鉄柵と機動隊と警察車両で作った檻の中に放り込まれる。その向こうを8台の工事車両が基地の中へ入って行った。

県外から参加して、初めて機動隊のごぼう抜きに合った女性は「とても怖かった!」と感想を述べた。
私たちだって、はじめは怖かった。でも何度も経験しているうちに、工夫していかにすれば抵抗値の高いものにできるか、ごぼう抜きのされ方を身に着けてくる。

それにしても、安倍政権の暴走に裏打ちされて、機動隊のやり口も、どんどん暴力的になってきている。どんなことをしても、「権力に守られる」という確信があるからだろう。卑劣だ。

海上では、約70人が船やカヌーに乗り「SAVE THE DUGONGS(ジュゴンを守れ)」と書かれた横断幕を掲げてパレードし、ブロック投下に抗議。瀬嵩の浜には約300人が集まり「新基地建設を止めるぞ」と決意を新たに声をあげたという。。

18日日は、午後から別日程が入っていたため午前中で辺野古を後にした。

 

(ブログへのアップがだいぶ遅れてしまったが、この日、帰宅する頃から発熱に襲われ、その後、38,6度の熱と咳、頭痛で丸二日間、食事もとれず寝たっきり状態になってしまった。まだ万全ではないが、何とか今日から起き上がれるようになったので、遅ればせながらアップさせてもらいました)

2017年2月21日リンクURL