ありがとう翁長知事~今日(8月10日)の辺野古

県民大会を前に、特別に設定された5日間の連続集中行動日五日目の辺野古。

先週の土曜日から工事用車両は一切入っていない。昨日になって、8月いっぱいは工事車両による陸からの搬入はないことが明らかになったが、それでも200人近くがゲート前に座り込んだ。

 

 

 

 

 

 

9時半以降は、暑さを避けて、メインゲート前のテントに移動して集会を続けた。各地からの参加者がマイクを握って挨拶、やはり急逝した翁長知事のことに話題が集中した。

オール沖縄共同代表の稲嶺進前名護市長、辺野古基地反対をともに闘う片翼を失った無念さを滲ませながら「翁長さんにお会いしてきた。背負ったものを下ろし、とても安らかなお顔でした。しかし、口元はやり残したことがあると、何かいい言いたそうな口元でした。

明日の県民大会は、翁長知事の遺志を継いで、改めて「撤回」誓う場に、そして沖縄はあきらめないと世界に示す場にしたい。その場に翁長知事がいらっしゃらないことがとても残念でならない。ねぎらいと感謝を込めて、翁長知事ありがとうございました」

.駐レバノン大使だった天野信夫さん。「アメリカに焦がれて外務省に入ったが、アメリカがイラク戦争を始めたとき、時の小泉内閣にたてついて外交官をクビになった。今のまま日米同盟を続けていくと日本の国に未来はない。しかし、いまそんなことを言っても政治家は誰も聞く耳を持たない。何より何を言っても書いてくれない日本のメディア。沖縄は唯一、それがわかって闘っている、辺野古はその最前線だ。

米軍の土地ととりあげに農民が立ち上がった砂川闘争と沖縄の基地問題は同根。「米軍駐留は憲法違反」とした伊達判決は、最高裁で政府と裁判長の密約により裏返った。以後現在の沖縄の基地問題につながっている。憲法9条こそ日本から米軍基地を追い出す要だ

今日は、県民大会に参加する県外からの人たちが多くを占めた。↓↑

ゲート前をデモ行進。いつもの「新基地反対」のシュプレヒコールを「翁長さんありがとう」に変えて、メインゲートから工事用ゲートを往復してデモ行進。

この日は、翌日の県民大会に備えて、午後1時半にはゲート前行動を切り上げて帰途に就いた。

2018年8月11日リンクURL

翁長雄志知事、無念の死去~辺野古NOを貫く

翁長知事の突然の訃報に誰もが「えっ!」と、言葉を失った。つい10日ほど前に、毅然と辺野古埋め立て承認の「撤回」を表明したばかりだったからだ。昨夜は無念な思いで眠れなかった県民がさぞ多かったことだろう。

残念、無念、悲痛、口惜しさ…知事とともに新基地反対を闘ってきた来た県民の思いは、どんな言葉でも言い尽くせない。命が燃え尽きる間際まで、沖縄の尊厳と未来を背負い、凛として国・安部政権と対峙してきた翁長知事。志半ばで逝く無念は、誰よりもご本人が一番無念で悔しかったに違いない。

先週土曜の集中行動日の辺野古で、山城博治さんが言った。「新基地建設に反対する私たちは、命を削ってここにいる」。ゲート前に座り込む私たち県民一人ひとりもそうだが、その言葉の向こうに翁長知事の姿を思い浮かべながら、私は聞いていた。

翁長知事が、それこそ命を懸けて闘ってきた平和な沖縄への思い、その遺志を、残された私たちはしっかりと受け継ぎ、実現させてゆかなければならない。

<写真は2015年12月2日、代執行裁判の事前集会から>

2018年8月9日リンクURL

女性が頑張ってる住民運動は必ず勝つ!~今日(8月8日)の辺野古

県民大会を前に設定された2週連続集中行動3日目。早朝から300名近くが座り込んだが、先週土曜日から工事車両は全く入っていない。

翁長知事の「撤回」表明を受けてゲート前の座り込みも元気いっぱい。「聴聞」をめぐって沖縄防衛局や、国道事務所へも分散して抗議や要請に行った。横柄な態度で市民の要請行動に対応した防衛局に「徹夜も辞さない!」と、強気の抗議の姿勢を示したのは女性たちだったという。「女性が頑張る住民運動は必ず勝つ!」と、この日のゲート前担当リーダーは、頑張る女性たちを持ち上げ、金武湾闘争など、過去の沖縄の市民運動の例を紹介した。

2週連続集中行動の8日間は、弁護団も張り付いている。

 

工事車両の搬入はないと見定め、座り込みはメインゲート前のテント下に移動して続けられた。


 

機動隊との対峙、ごぼう抜きがなければ、人々は笑顔にあふれ、歌・三線あり、踊りあり、感動のスピーチありで、辺野古ほど楽しいところはない。

全国の平和フォーラムをはじめ、県外からの参加者も多かった。

「ローザ・パークス」とは、人種差別と闘った、アメリカ人なら誰もが知る「公民権運動の母」。市民不服従とは、公権力の不当な扱いに抗議する行為。

来週には1500日を迎える不屈の座り込み。浜のテントでは8000日になろうとしている。沖縄の近現代でこれほど長期にわたった住民運動はない

                         

 

2018年8月9日リンクURL