今日(7月24日)の辺野古 ② ~相次ぐ海外メディア

24日のゲート前は、同日11時から海上保安庁への抗議の庁舎包囲が予定されていたことや、台風接近のため、いつもと比べて座り込みの人数は少なく、ピーク時でも100名程度だった。

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「美保の松原」の静岡県からの参加者

「三保の松原」の静岡県からの参加者

 

 

 

 

 

 

そんな中、海外メディアが二組もゲート前の取材に訪れた。
一つは香港のテレビ局。

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海外メデァ二組とあって沖縄タイムスが香港のテレビ局に逆取材。
通訳が、県民目線の地元新聞社の一つ「沖縄タイムス」と紹介したら
「知ってますよ。政府に同調しないから潰せ」と言われた新聞社でしょう!
うちの局も、民主化運動で本当のことを言うので、潰せ!と香港当局から言われる」とのこと。(どこも権力のすることは同じなんだ)。

取材しての感想を!とマイクを向けられたディレクターは、「沖縄辺野古の運動は浜のテントで18年、ゲート前で一年余り続いていることに驚いている。香港の民主化運動も学生などを中心に大きく盛り上がったが、毎日続けることは難しい。辺野古が続けられることの原動力は何か、この取材で見つけ、香港の人たちに伝えたい。皆さん頑張ってください」と、沖縄にエールを送った。

二つ目は、かの有名な米国の大手新聞 シカゴ・トリビューン。座り込みに参加している人たち数人から熱心に話を聞いていた。

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この新聞を所有するトリビューン・コーポレーションの傘下には、ロスアンゼルスタイムスボルティモアサンなど10の新聞があり、また約20局の地方テレビ局を抱える。共和党寄りと言われるこの米国の巨大メディアネットワークが、沖縄・辺野古のことをどう伝えるのか。気になるところではある。

今日の差し入れは、沖縄特産のマンゴだった!!!!

ちょっと見栄えは悪いけど、味は最高!

ちょっと見栄えは悪いけど、味は最高!

2015年7月26日リンクURL

今日(7月24日)の辺野古~台風にもマケズ

毎週金曜日は、女性が行動の指揮を執る担当(女性デー)」。朝6時朝日を浴びながら泊まり込み組、早朝組が集まってくる。

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工事車両専用ゲートで、いつものように座り込み、機動隊との攻防30分あまり。

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市民の抵抗の様子を、県警が威圧的に撮影。

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撮影に抗議して、市民ののぼり旗でカメラを喘ぎる。

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30分近い攻防の末、抗議市民は、ひとりひとりごぼう抜きにされて、装甲車と鉄柵で囲まれた檻のなかに囲い込まれ、結局20数台の工事車両が基地のなかへ消えて行った。

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不屈の座り込みも1年が過ぎた。

台風接近に備え、この日は午前中で抗議行動を切り上げ、テントの片付けをみんなで行うことに。

台風がやってくるたびに、テントをたたみ、また組み立てる作業はかなり労力、時間がかかり、とても大変。けど、やるしかない。

台風はいいこともある。二週間前の11号台風のおかげて海上作業はストップしたまま、再開しないうちにまた台風がやってきたので、これからしばらく海上は作業ができない状況が続く。

 

 

 

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ブルーシートがはがされ骨組みだけになってしまった座り込みテント。

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家2軒分の引っ越しに相当するほど膨大な荷物が収められた泊まり込みテントの片づけは、夕方5時くらいまで続いた。

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「座り込みテントは違法だ」と撤去を警告する国道事務所の看板も仲良くお片付け。

テントの横の花壇ではみんなが植えた松葉ボタンの花が元気よく咲いていた。

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2015年7月25日リンクURL

「金は一年、土地は万年」の原点・内灘闘争をうたった歌集「内灘」

友人から芦田高子の歌集「内灘」の復刻版をいただいた。

「内灘闘争」が、かの有名な筵旗「金は1年、土地は万年」の原点であり
日本で初めて米軍基地を撤去させた闘いというくらいのことは知っていたが
この本を読んで、それがいかに表面的な知識だったか恥じると 同時に、辺野古の座り込みに想いが重なり、感銘を受けた。(ただ、短歌は全くの素人だけど…)

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「内灘闘争」は、1953年、石川県金沢近郊の内灘砂丘を接収して米軍の砲弾試射場にするとした政府の計画に、村人の強い反対を押し切って村は1月から4月までの期間限定で応諾、七千五百万円の見舞金をうける。その直後政府は、内灘を永久接収すると閣議決定する。

怒った村人や労組員が県庁に押し掛けたり、反対集会を開いたり、陳情団を東京へ送ったりと抵抗する中、6月に射撃訓練がはじまると
これに対抗して村民7百人が着弾地点の権現森に昼夜を問わず座り込む。
ここから4年にわたる熾烈な「基地とりのけ闘争」がつづくことになる。
闘争のピークには全国からの支援者2千人、警察官三千人が配属されたという。

感動の一つは、座り込みの中心になったのが「おかか様」と呼ばれる漁師のおかみさんたち、つまり女性たちだったことである。
砲声とどろく内灘砂丘に、夜には「おかか」たちが、お互いを励ますために歌う歌声が響いたという。
歌集の表紙に、赤子を抱えて乳を与えている座り込み中の「おかか」たちの写真が胸を突く。「おかか」たちの願いはただ一つ「村の平穏と安心の暮らし」。実にささやかで素朴な願いである。

感動の二つ目は、村の者ではない一人の歌人が、
「おかか」たちと共に座り込みながら歌を詠み、内灘の闘いを広く世に知らしめるもう一つの闘いを担ったことである。

 午前九時試射始まれど射程延長させじと主婦ら座してゆるがず

 砲弾に射たれ死なんといへる老婆の言終わらぬにみな声あげて泣く

 この浜を死守すると砂に座す道に乱れ揺れつつ小判草咲く

闘争の真っただ中に身を置き、民衆に寄り添いながら、その豊かな感性がとらえた情景は、人間味あふれる歌となる。

 めりこみし激励の自動車警官も手をかして押すを笑ひいふこゑ
反対運動の支援のためのトラックが、砂に車輪をとられて動けなくなったのを、
警官も一緒になって押し上げるという、対峙だけではない和気あいあいの情景をとらえている。辺野古でも似たような情景があり、ゲート前の座り込みの日々がよぎる。

内灘闘争は、結局1957年3月30日に試射場が返還され、米軍基地撤去させた最初の例となった。

今回いただいた「歌集・内灘」は、、内灘闘争60周年にあたる昨年2014年に復刻されたもので、作者・芦田高子の子息・星野尚美氏は、しっかり「内灘」と沖縄とのかかわりにふれ、現在の状況にも思いを馳せている。

機会があればご一読下さい。

 

2015年7月22日リンクURL