勝つ方法は諦めないこと ~ 辺野古浜テント座り込み 7000日集会

 2004年4月19日、辺野古新基地建設(当時はヘリ基地と呼ばれていた)に向けたボーリング調査を阻止するため、辺野古漁港となりにテントを張り、座り込みと海上行動を開始してから、今日(6月18日)で7000日(19年)になるという。

 浜テントでの座り込み行動は、さらにその8年前の1997年から地元のお年寄りたちが、新基地建設に反対して港の前に闘争小屋を建てて坐りこんだ闘いを継承するもので、加えると実に26年もの歳月になる。

 今日は浜のテント前に250名の人たちが集い、これまでの闘いを振り返った。

 海勢頭豊さんの歌で始まった集会は、主催者代表、各界代表がそれぞれ挨拶。「辺野古の闘いは、日本の民主主義、人権を守る闘いの先頭に立っている。辺野古デモクラシーだ。」「この地での闘いは日本の憲法、地方自治、人権を守る闘いでもある」と。

 

 

 

 

地元代表はあいさつの中で「我が家では、座り込みが始まった少し前に生まれた子どもが、今年30歳になった。節目節目で写した家族写真は、全て基地がらみで、苦笑してしまう。

 これほど長い闘いになるとは思わなかったが、地元の者だけでは、ここまで長く闘い続けることはできなかった。この場で多くの出会いがあり、全国、世界へと繋がり、たくさんの人たちに支えられてやってこれた。心から感謝を申し上げたい。

辺野古新基地は、私たちがあきらめない限り絶対に完成しない。これからも心を一つにして闘い続けよう!」と、勝利までなお一層の連帯を呼び掛けた。

 また、この長い闘いの中では、一日も早い闘いの勝利を願いつつ、無念にも志半ばで旅立たれた方々も少なくない。それらの方々に想いを馳せながら、明日からの闘いに向け、決意を新たにした。

 

 

 

2023年6月18日リンクURL

「沖縄・米兵による女性への性犯罪」改訂版発刊 犯罪件数2・5倍 1000 件に増 ~ 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会発行

 沖縄の女性たちが記録し続ける「沖縄・米兵による女性への性犯罪」が、このほど7年ぶりに改訂され出版された。

 通称「犯罪年表」と呼ばれるこの記録集は、戦後米軍の長期駐留下で起きる米兵士による女性に対する性暴力を、犯罪統計や新聞記事、歴史資料、証言などあらゆる記録を掘り起こすなどして、これまで13版(1945年~2021年12月)を重ねている。

 2016年に出された12版では、400件余だった犯罪件数は、今回の13版では一挙に2・5倍、1000件を超えた。 この7年間にこれだけ米軍人による性犯罪が増えたというのではなく、これまで表に出てこなかった事例を丹念に調べ上げることで増えた件数である。でもそれだけで驚くのはまだ早い。

 性暴力というのは、実際に起こった件数の四分の一程度しか表に出てこないと言われる。性暴力を受けても訴えないケースがほとんどで、実態はこの何倍もある可能性が高いのだ。

 沖縄の女性たちが、この犯罪年表をつくるきっかけになったのは、1995年に起きた米兵3人による少女レイプ事件だった。折しもその年は、「女性への暴力」がテーマの国連第4回国際女性会議が北京で開かれた年。沖縄からは100人近くの女性たちが実行委員会を結成し、11の領域で12のワークショップを持って参加していた。その中に「軍隊による女性への性暴力」をテーマにしたワークショップも含まれていた。

 北京会議を終えて帰ってきた女性たちを待ち受けていたのが、留守中の沖縄で起こった「少女レイプ事件」だった。まさに女性たちが訴えていたことが、北京会議の最中に起こったのだ。女性たちはすぐに声を挙げ、抗議行動を展開、女性に対する暴力は人権侵害であり、犯罪である」「軍隊は構造的暴力」と、ジェンダーの視点で基地・軍隊を問うた。やがて全県的な基地反対運動へと拡がっていった。(それが普天間基地返還⇒辺野古新基地問題へと繋がってゆく)

 沖縄の女性たちは、米国民に対し、世界の警察を標榜してアメリカが世界中に展開している軍隊が、紛争地や同盟国の駐留地で、その国や地域の人たち、特に女性や子どもたちにどんな影響を及ぼしているのかを訴えるため、アメリカピースキャラバンも敢行した。その中で問われたのが、「それでは一体米軍の女性への性暴力がどれほど起きているのか?」ということだった。そこで生まれたのが「沖縄・米兵による女性への性犯罪」(犯罪年表)である。

 ベトナム戦争終結後も、アメリカが世界中で起こす紛争・戦争はいまも続いている。その中で軍隊の女性への性暴力も起こり続けている。これらを無くすには、地球上からすべての基地・軍隊をなくす以外にはないのだ。

 

2023年6月16日リンクURL

激しい雨の中で ~ 6月14日の辺野古

梅雨後半に入っても、全くそれらしい雨が降らず、夏場の水不足を心配していたら、昨日の雨は、本当に爆弾でも降って来たかのようなうな大雨だった。

 那覇を出発した早朝は、まだ穏やかな降り。辺野古へ到着したころから降った止んだり。しかし、やんばる地方は前日も洪水警報が出ていたので、台風の後の復旧がまだ完全ではないテントの下は、雨漏りも見られ、修繕に追わながらの座り込みとなった。

 雨に濡れながらも、何とか9時の座り込みは無事終了。11時の第4ゲートの搬入は無しとの連絡。


 テントの下で、雨を避けながら、参加者同士の交流。カナダからの県系三世の若者たち、カルフォルニアの大学の研究者など、海外からの参加者もあり、午後に向けて次第に人数も増えて来た。

 私はこの後別の日程があり辺野古を離れたが、強くなる一方の雨脚に、午後の資材搬入は中止、座り込み抗議も、昼食後解散となったそうだ。

 テントの前の植栽・オオバナ・サルスベリの木。台風で傷つけられた葉が枯れて落ちたかと思ったら、一週間も経たず新芽を噴き出していた。自然はたくましい!元気をもらった。

<オオバナ・サルサルスベリの花>

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月15日リンクURL