劇団 青い鳥20年ぶりの沖縄公演「普通の人々」3月4日決行!

 少なからぬご縁があり、20年前とおなじく公演の応援をしています。コロナウィルスの流行に関連して、様々なイベント、行事、集会等が中止になる中、「初志貫徹!」決行することになりました。

 会場内の客席をはじめ、トイレを含む周辺の消毒、観客にい対する手指消毒用スプレーの用意(必要な方にはマスクも)など、感染対策を徹底して行います。ぜひいらしてください。

 

 平和や人権、基地問題など「沖縄」と直接関係のないテーマのため、様々な問題を抱え、受難続きの沖縄で「こんなときに!」と、チケットを広めるのにいささか苦戦していますが、純粋に演劇として楽しんでいただければ、そこに自ずと湧き出てくる人として生きていることへの共感と「ウチアタイ」に、心を潤すことができる舞台になっているはずです。

 いろんな意味で「こんなときだからこそ」沖縄の人に観てもらいたい作品です。テンブスホールでお待ちしています。

<2月29日 琉球新報 ↑>

 

2020年2月29日リンクURL

段ボール120個超と奮闘中 ~ 事務所の引っ越し

 女性や平和をテーマに活動するいくつかの市民グループが共同事務所としている「すぺーす結」が、先日(16日)引っ越しをした。

 30年余数グループが使用していたため、所有する資料や本など、沖縄の女性運動や平和運動の第一次資料が詰まっている事務所でもある。

 引っ越し業者の見積もりは、当初段ボール箱75個ということだったが、実際に蓋を開けてみると120箱超に膨れ上がり、しかも今回の引っ越しで、新たに二つのグループが加わることになりったことから、さらに20数箱増えて四つの部屋のほとんどを占拠してしまった。

 これらの荷をほどいて所定の場所に収めていく作業も、大変な労力と時間がかかる。前日に荷物を梱包、当日は運び出しと新居に運び込むのに一日がかり。その翌日から今日まで3日間荷ほどきに取り掛かっているが、まだ半分も終わっていない。  

 私の荷物は部屋に入れてもらえず、ベランダに。荷ほどきも後回しになる。今日は小雨、ブルーシートで何とかしのげそうだけど、本降りにならないことを祈るばかり。(かわいそうに!)

  若者たちのグループは人数が多いこともあって、二日間で片付け終わり、今日から業務を開始した。事務所の中心である私たちのグループは、基本的に私一人、早朝から深夜まで取り組んでも、たかが知れている。昨日の午後からと今日午前中はもう一人が加わって、前期高齢者と後期高齢者の二人がゆるゆると、今日も頑張っている。(昨夜、お風呂に入っていて気づいたが、手足に無数のあざができていた。本の詰まった重たい段ボール箱と格闘した印が、しっかりと付いていた

 今日になって、いったん配置した本棚などの家具を動かす必要が出てきて、思い余ってもう一つのグループの男性たちにSOSを発信、助っ人に来てもらうことになった。

2人お願いしたら4人も駆け付けてくれて、大きな本棚6つを入れ替える作業が、ものの5分も経たずにお終わってしまった。さすが…!<写真は、助っ人作業が終わり、コーヒーとアップルケーキで、ご苦労様!をしているところ>

 ところで、今回お願いした引っ越し屋さんは日本一の引っ越し件数を誇る業界一の会社らしいが、彼らの働きぶりには感動した。テキパキと仕事をこなすのは当然として、私たちのどんな無理な要求にも、いやな顔一つせず笑顔で対処し、かといって客の言いなりになるばかりではなく、常に最善策を提案し、解決していた。三人一組で一軒の引っ越しを担当しているようだが、早く終わった組が、時間のかかっている別の組を応援にやってくる。仲間同士の連携も見事だった。(社員教育が行き届いているようだ)

ただ気になるのが、彼らは早朝から夜遅くまで、ちょっと働きすぎなのではないかと思う。しっかり労基法守っているとは思うが…。

 私は決して、この引っ越し業者の回し者ではありませんので念のため。非常に重労働なのに最初から最後まで本当に気持ちよく爽やかで、感動したのでグログに書こうと思った。

 

2019年12月19日リンクURL

 恩師の旅立ちに 思う

 70代になって、バスやモノレールの中で、席を譲られることが多くなり、いやでも自分の年齢を意識せざるを得ないこの頃であるが、

 自らが老いるだけでなく、人生上り坂のころに、理想、あるいは目標にして背中を追いかけてきた各分野の大先輩たち(親も含め)が、次々と視界から見えなくなり、寂しさや切なさに身をつまされ、自らの老いを実感することが多くなってきた。70代とは、そういう時期でもあるようだ。

 先日も、仕事上で40年近くお世話になってきた恩人ともいえる大先輩が亡くなられた。

 14日、たまたま所用で東京に出ていたため、15日に埼玉県の川越市で行われた告別式に駆け付けることができ、長年かけていただいたご厚情に、感謝とお礼を申し上げることができた。

 若いころに自らが身体を壊したために、「食の過ち」に気づかれ、「千坂式」という玄米正食の食養生のメソッドを確立された方である。いまでこそ巷でよく聞かれるようになった数々の健康食品や健康法を、今から35年~40年前にすでに提唱されていた。

 例えば食物酵素、ミネラル、シリカの大切さ、氣やソマチッドの存在、フウチ、Oリングテスト、食の陰陽、酸アルカリのバランスの重要性、腸内の微生物(フローラ)、腸造血説など、数え上げればきりがないほど。

 自分自身が健康を取り戻すために手作りしていた玄米酵素などの食品を、同じ病で苦しんでいる友人知人に分け与えていたところ、請われて商品化するようになり、健康食品のメーカーを立ち上げた。

 今でも厳選された食材で、手作りに近い製造方法をしているため大量生産ができず、決して大手メーカーのような流通はしていないが、知る人ぞ知る「千坂メソッド」である。 

 私は、千坂先生が出演するラジオ番組のディレクターとして、35年間ほどお手伝いをしてきた。3年前にラジオ番組も、会社も二代目に引き継がれたため、2年ほどお会いしていなかったが、棺の中の先生のお顔は、シミや皺一つなく、生前と変わらない穏やかな優しい笑顔のままだった。きっと人生の目的を果たされ、満足して旅立たれたのだと思う。

 私が人一倍健康の問題に関心があり、70代になるまで歯医者以外病院のお世話にならずに来れたのも、先生の影響が大きいと感謝している。心からご冥福を祈りします。

 

2019年11月18日リンクURL