へいわってすてきだね

23日の「慰霊の日」に行われた沖縄県主催 全戦没者追悼式で、児童代表が読み上げた「へいわってすてきだね」と題する自作の詩が、多くの人々の感動を呼び話題になっている。

日本のいちばん西にある小学校、沖縄県与那国町立久部良(くぶら)小1年の安里有生(あさとゆうき)くん(6才)、

県平和祈念資料館が募った「平和のメッセージ」に寄せられた1690点の中から選ばれたもの。

朗読する「あさとゆうき」くん ~テレビ画面から~

朗読する「あさとゆうき」くん
~テレビ画面から~

 ◇◇◇◇◇◇

へいわってなにかな。

ぼくは、かんがえたよ。

おともだちとなかよし。

かぞくが、げんき。

えがおであそぶ。

 

ねこがわらう。

おなかがいっぱい。

やぎがのんびりあるいてる。

けんかしてもすぐなかなおり。

 

ちょうめいそうがたくさんはえ、

よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。

みなとには、フェリーがとまっていて、

うみには、かめやかじきがおよいでる。

やさしいこころがにじになる。

 

へいわっていいね。へいわってうれしいね。

みんなのこころから、

へいわがうまれるんだね。

 

せんそうは、おそろしい。

「ドドーン、ドカーン」

ばくだんがおちてくるこわいおと。

おなかがすいて、くるしむこども。

かぞくがしんでしまってなくひとたち。

 

ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。

このへいわが、ずっとつづいてほしい。

みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。

 

へいわなかぞく、

へいわながっこう、

へいわなよなぐにじま、

へいわなおきなわ、

へいわなせかい、

へいわってすてきだね。

これからも、ずっとへいわがつづくように

ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

 

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かわいい声で、でも堂々と毅然とした姿が清々しく、朗読が終わると、会場から大きな拍手が沸き起こった(ニュースによると)。

 

 

 

奇しくもこの日は東京東京都議会選挙の投開票日。皮肉にも東京都民は、戦争政策を押し進める政党を選んだ。

追悼式での美辞麗句を並べた総理挨拶が、白々しく聞こえたのは、私だけではなかろう。

2013年6月26日リンクURL

68年目の慰霊の日

昨日6月23日は「慰霊の日」。

68年前の第二次世界大戦で戦場となり、

県民の4人に1人の24万人(うち民間人十数万人)が犠牲になった沖縄戦が終わった日です。

月桃の花

この日は沖縄県だけの法定休日
学校もお役所も企業もお休み(国の機関は除く)多くの人たちが
ゆかりの地で
鎮魂と恒久平和の祈りを捧げます。

平和公園

平和公園

 

激戦地となった沖縄本島南部摩文仁の平和公園には
各都道府県をはじめ
「ひめゆりの塔」「健児の塔」など
多くの慰霊碑がありますが、
昨日はそのほとんどで慰霊祭が行われました。

祈りをささげる人々

祈りをささげる人々

 

 

戦後、野ざらしになっていたたくさんの遺骨を 付近の住民が集め、手作りで慰霊碑を建てたのが
「魂魄の塔」。

親族や肉親がどこで亡くなったのかわからない人たちは
「魂魄の塔」にお参りします。

 

 

平和公園で行われた県主催の全戦没者追悼式には、県知事はじめ総理大臣、外務大臣、防衛大臣も出席、県民5千人が参列しましたが、例年、美辞麗句を並べて形だけのあいさつをする国側来賓に反発して、平和を求める市民団体は、毎年この魂魄の塔前で追悼集会を行います。

昨日は一日、沖縄中で
たなびくお線香の煙と祈りの声が絶えることはありませんでした。

2013年6月24日リンクURL

「橋下市長!私が証人です」~金福童(キムボットン)ハルモニが証言

一昨日(18日)、
韓国から金福童さんを沖縄に迎えて「ハルモニとの交流集会~こころで感じる「慰安婦」問題~という集いを開催した。

証言する金福童ハルモニ

証言する金福童ハルモニ

開口一番、橋本発言に対して、「慰安婦」は必要だったと言うだけで謝罪もしないのは人間ではない。
証拠はないというが、この私が、何よりの証拠です。
私は苦しみながらも、いま生きて、ここにいる。これ以上の証拠がどこにあるのか!」

いつもは物静かで、笑顔の優しい福童ハルモニの表情が
一瞬険しくなり、細い手が机を叩く。
目には涙がにじんでいた。

一緒に登壇した挺対協代表のユン・ミヒャンさんは「福童ハルモニは世界中を回って証言をしており、1000回続いている韓国日本大使館前での水曜デモでもいつも先頭に立って、若い人たちに未来を感じさせる話をしてくれる。どんな辛い話でも決して涙を見せたことがなかった」と語った。

その福童ハルモニが見せた涙だった。

この私が何よりの証拠です

この私が何よりの証拠です

慰安婦にされ地獄の苦しみを味わってきた
自分をはじめ多くの朝鮮半島の女性たちが
未だに苦しみ続けているというのに

日本の国の政治家たちの、謝罪するどころか、
まるで存在しなかったかのような発言に
吹き出す悔しさと怒りの涙ではないだろうか。

金福童さんは15歳のとき、旧日本軍に「挺身隊として日本の縫製工場で働け。
さもなくば母親を反逆罪で捕まえる」と脅され、狩り出された。
しかし行った先は日本ではなく、台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシアなど
戦場の最前線で8年間、慰安婦として従軍させられた。

平日は14~15人、
土曜、日曜ともなると、朝8時から夜10時まで
それこそベッドからいっときも起き上がることも許されない状態で
50~60人もの日本兵の相手をさせられたという。
想像を絶する。

戦争が終わり、故郷・韓国に帰ったときは22歳になっていた。
別れたときは14歳。「再会した母は大人になった私の顔ががわからなかった」という。

この集会は橋本発言があったので企画されたのではない。

会場を埋めた若者たち

会場を埋めた若者たち

「慰安婦」問題をテーマにした集会などは右翼などの妨害にあうので
今回も、事前のPRは信頼できる友人・知人宛の、極限られた人たちにメールで知らせ、少数で心の通い合う交流集会にしようという計画だった

しかし、図らずも橋本発言のせいで、多くの関心が集まり、クチコミで特に若い人たちが会場にあふれた。

金さんは、24日、もう一人のハルモニ・吉元玉さんとともに
橋本市長に面会することになっている。

橋本氏に会ったら、
「必要というのなら、自分の妻や娘を(慰安婦)として差し出せるのか?」と
質したいという。

果たして、橋本氏は何とこたえるだろうか。

2013年5月20日リンクURL