手を繋ごう平和への一歩~ 12・7「障がい者辺野古のつどい」にご参加を!

<開催趣旨>

戦争が起こると一番真っ先に  やっかい者扱いされるのは障がい者。平和を一番望んでいるのは、私たち障がい者です。12月3日~9日は、国連が決めた国際障がい者習週間です。戦争基地のために辺野古の青い海を死の海にしないために、12月7日は辺野古へ集まろう!

私たちが辺野古へ行くのは大変です。飛行機、バス移動、介護者の確保、どれもこれもシンドイです。でもあえて呼びかけます。政府の戦争政策と、沖縄への基地押し付けを止めさせるために、声を挙げましょう!

障がい者が中心になって、米軍基地反対の声をあげるのは、今回が初めてではないでしょうか。どうぞこの歴史的な集まりにご参加を!(チラシより)

12月7日(木) 11 時~13時
場所:名護市辺野古 キャンプ・シュワブゲート前テント村
(内容) リレートーク、文化行事 その他
※終了後、道の駅「わんさかパーク」に移動し、交流会を行います。

主催:12・7障がい者 辺野古のつどい実行委員会
連絡先:田丸正幸 〒905-1204 東村平良426-1

TEL080ー6498ー0414  Eメール mt0414 mt@ezweb.ne.jp

2017年12月1日リンクURL

I`m NOT ABE ~ 今日(11月29日)の辺野古

 

 

 

 

 

 

辺野古ゲート前では非暴力を鉄則に効果的な抵抗の方法を、それぞれが工夫を凝らして試みている。今日は写真のような安倍総理のお面を作ってきた人がいた。50枚を座り込んでいる人たちに「強制ではありません。こんな顔見たくもない!という人もいるでしょうから」と配っていた。

皆さんの反応は、「気持ち悪い!」「いやだ!」という人が多く。苦笑いしながらつけた人もいたが、数人だけだった。

そこへやってきた機動隊。座っている人を排除しようと屈めば、眼前にABEさんの顔と相対する形となる。どんな気持ちで人々を引きずり出し運んだのだろうか?

今日も三回の強制排除を受け、これまでの最高の267台(内207台はダンプ、40台は生コン車、)が基地の中に入った。

午前中に、海の工事現場で抗議船に乗って抗議行動をしていた船長が、軍警に拘束・逮捕されたという知らせがあり、軍用車両と米兵が出入りするメインゲートでも、Yナンバーの車を止める抗議行動を行った。

ここでも、基地の中から機動隊が出てきて、私たちを排除して米軍、米兵の車を通した。今や米軍を守るのが県警機動隊の仕事となっている。

いま辺野古を巡って緊急な問題は、埋め立て用の土砂を今のようにトラックで運んでいては、ゲート前の抗議行動などもあり、いつまでたっても工事が進まないので、防衛局は、船を使って辺野古まで土砂を運ぼうとしていることである。土砂の積み出しに国頭村の奥にある漁港の使用を県が認めたことから、奥の集落が全会一致で反対の声を挙げている。

「ノグチゲラやヤンバルクイナの鳴き声も聞こえるやんばるの静かな集落の中を、一日何百台ものダンプが行き来すれば、住民の生活や自然環境に与える影響は甚大。

沿道には村の小中学校もある。子どもたちが、天然記念物のヤンバルクイナやセマルハコガメの交通事故への注意を促す看板を立てているが、それでも希少動物の交通事故が少なくない。大型車の通行量が何十倍にも増えれば、その結果は目に見えている。のどかに暮らしているお年寄りたちも、怖くて気軽に外出もできなくなる」と、島ぐるみ会議やんばるのメンバーが訴えた。

奥の住民だけでなく、辺野古新基地に反対する人たちが、使用許可の取り消しを求めて再三県に抗議と要請を行っている。

 

2017年11月30日リンクURL

ショパンの手紙~崔善愛ピアノコンサート

「”ピアノ詩人”といいわれるショパン。その曲は、なぜあれのほど情熱的で激しく、また切ないのでしょうか。
その背景にあるものは、
祖国を大国に奪われた亡命者の苦しみや怒り、
二度と祖国の家族や友人と会えない悲しみでした。
同じように日本に帰国できなかった経験を持つ
ピアニスト崔善愛が、共感をこめてショパンの生涯をたどります」

そんなチラシのコメントに誘われて、日曜日の午後のひとときを、沖縄キリスト教学院大学のチャペルで行われた、素敵なピアノと朗読のコンサートでぬちぐすいしてきました。

在日韓国人として生まれ育った崔さんは、指紋押捺に反対していたため、アメリカへの留学の際、「再び日本へ帰国できないかもしれない」との覚悟で出国しました。

留学先で手にした「ショパンの手紙」いう一冊。ショパンが、ドイツに占領された母国ポーランドを出てフランスに向かうときの不安、悩み、自分を育てた国への愛着が記された書簡集でした。ショパンの曲に秘められた思いと、自らの境遇に重ね合わせ、心を揺さぶられます。

崔さんは言います。「そのとき、はじめて私の前に、ピアノの詩人としてではなく、自分の国を追われ、苦しみ、悩み、怒る一人の人間としてのショパンの姿が表れた」

朗読の斎藤とも子さんの父親も、「まだ中学生だった戦時中、朝鮮北部から引き上げるときに朝鮮の人たちに命を救われ、無事日本に帰って来られた。そのおかげで自分がいま、ここにいる」と、それぞれに万感の思いを語りました。

そんな二人が、アメリカと日本という大国に翻弄される沖縄に心を寄せたのは必然でした。熱望していた沖縄での演奏会が実現して感無量の二人のコラボが、また聞く人たちの心を揺さぶりました。

 

崔善愛さん

さすがに演奏中はシャッターを切れませんでしたので、情熱的な演奏風景は撮れませんでしたが、演奏が終わって、今回の沖縄でのコンサートにかける思いを、こみ上げてくるもので言葉を詰まらせながら語るお二人。翌日は辺野古ゲート前へもいかれるということでした。

2017年11月28日リンクURL