辺野古テント村座り込み5000日集会~今日(12月26日)の辺野古

今日(26日)正午から、シュワブゲート前で「名護市民投票から20年!辺野古テント村座り込み5000日集会」が行われた。

1997年12月21日、名護市民が市民投票で「辺野古NO」の市民意思を内外に示してから20年、そして2004年辺野古海岸テント村での座り込みを開始してから今日で5000日を迎えた。

集会はまず、海勢頭豊さんの歌で開会。「沖縄の闘いは ずっと平和の闘いだった」と海勢頭さん。おなじみの月桃、喜瀬武原、やんばるの歌で集会を盛り上げた。

主催者挨拶はヘリ基地反対協の共同代表・安次富浩さん。「20年闘い続けて来れたのは、ここに座る皆さんの力あってこそ。感謝にたえない。この間に何人もの命を守る会のお年寄りたちや、仲間が、解決をみることなく他界された。天国で見守る彼らのためにも、あきらめることなく最後まで闘い続ける」と、改めて決意表明。

平和運動センター議長 山城博治さん。「みんなの力で、ここまでやってこれたことを思うと、涙が出るような感動を覚える。県民はみんな力の限り頑張っている。翁長知事!一日も早い撤回をお願いします。知事と共に我々も頑張ります!」と、訴えた。

国会議員団、県議会各会派代表もそれぞれにあいさつ。最後に稲嶺名護市長がマイクを握った。

「これまで心を一つにして頑張ってきた皆さんに、名護市の行政を預かるものとして感謝します。いま、私たちの戦いは世界に広がっている。しかし安倍政権は、来年の名護市長選、県知事選を前に、県民を分断させようと、様々な手法で画策を行っている。いまここで頑張ることは、次の世代、子や孫のさらに次の世代のため、負の遺産は残してはいけない、その思いがみんなの心を一つにしてきた。これまでの闘いは大変苦しいものだったが、いまが正念場。名護市長選、県知事選挙を圧倒的に勝利して、日米両政府に改めて明確なNO!を突き付けて行こう!」とあいさつした。

集会は最後に「自分たちの未来は自分たちで決める!新基地計画を白紙撤回させ、平和で自然豊かな沖縄の未来を、私たちの手で作っていきましょう!」とのアピールを採択して、約一時間の集会を締めくくった。

この日の集会にはおよそ500人が参加。早朝から座り込みも行ったが、9時前には81台の捨て石など積んだダンプトラックやミキサー車が入った。

辺野古ゲート前の座り込み行動、年内は明日(27日)が最終、年明けは5日からスタートする。

 

2017年12月26日リンクURL

もう、いい加減にしろ!~今日(12月20日)の辺野古

朝7時過ぎ、辺野古へ向かう途中のサービスエリアで、いつものように途休憩に立ち寄ったら機動隊と鉢合わせ。彼らもここでトイレ休息をとっているようだ。

さらに辺野古の少し手前で、私たちのバスの前を機動隊を乗せた装甲車が行く。今日は早めに入りそうだとイヤな予感がした。

案の定、いつもより15分早く強制排除が始まった。

結局、夕方4時までの間に合計3回の排除で258台(ダンプ198台、ミキサー車29台、その他31台)に入られてしまった。正午から山城博治さんらの裁判の最終弁論の日と重なり、抗議の人たちが分散されてしまい、人数がいつもより少なくなったところを狙われたかたちだ。

さらにこの日は、ゲート前での搬入以外に、本部港から台船から貨物船に152台分の石材が積み替えられ、午後3時に出航したとのこと。本部港では本部町島ぐるみの皆さんが20人で8:00~8:30まで約30分ダンプを止めたという。しかし、ここにも県警機動隊が駆けつけ、出航まで違法に拘束されたとのこと。

この日はまた韓国から歴史を学ぶ大学院の学生たちが辺野古を訪れた。韓国でも米軍基地に反対する運動が闘われており、平和運動の場で歌われている歌を披露して、座り込みの人たちを激励してくれた。

どこかで演習が行われているようで、辺野古弾薬庫から実弾を運ぶ車がしきりと行き来しているのが目に付いた。国道をこんな危険な車が、何気なく走っているのが沖縄の現実である。↓

一週間前、普天間第二小学校に窓を落下させ、子どもたちを危険な目に合わせたCH53が「事故は人的ミスで、機体には問題ない」として、昨日から飛行を再開させ、県民の怒りかっている。沖縄中がまるで戦場のような様相だ。

12月20日は、47年前米軍人が起こした交通事故をきっかけに、群衆が米軍人の車両を次々と焼き払った「コザ騒動」が起こった日。沖縄の状況はあれから何にも変わっていないことを改めて思い知らされる。

ゲート前に新たな横断幕が掲げられた。ホントに「もういい加減にしろ!」叫びたい。

2017年12月21日リンクURL

オスプレイ墜落から一年~抗議集会に3000人

昨年、名護市安部海岸にオスプレイが墜落したのは12月13日だった。事故から一年たっても、米軍からも日本政府からも、いまだに原因究明の明確な報告もないまま、オスプレイが沖縄中を飛び回っている。

墜落一年に合わせて、昨日(15日)名護市で抗議集会が開かれ、3000人が抗議の声を挙げた。

 この一年間に墜落を含む米軍機の重大な事故は20件にも及ぶという。先週は、一週間の間に、普天間基基地のすぐそばにある幼稚園と、小学校に米軍機の部品が落下し、危うく子どもたちの命が奪われるところだった。

 

<子や孫を国防の犠牲にするな!>

    <飛ばすな!沖縄の空を>

 現在、来県中のVFP(平和を求める退役軍人の会)の皆さんも参加した。代表してイラク戦争に参加した若者が発言。「正義に燃えて軍隊に入り、テロと戦うためイラク戦争に行った。戦争に参加して初めて知ったことは、自分自身がテロリストであるだけでなく、”すべての戦争がテロである”ということだった。沖縄の皆さんと一緒に声を挙げる。命どぅ宝(ヌチド タカラ!ヌチド タカラ!ヌチド タカラ!)

 

 

 

 

 

 

 

小学校への部品落下事故に抗議のため上京中の翁長県知事に代わって富川副知事が、知事のメッセージを代読、強い怒りと共に、改めて「新基地は絶対につくらせない」と宣言。また、稲嶺名護市長も、「陸にも海にも基地は造らせない」と決意を語った。

オスプレイの墜落を「不時着水」と言い換えたNHK、さすがに最近は「着水」とはいわなくなったが、それでも「安部海岸で大破」としている。どうしても「墜落」とは言いたくないようだ。

 

2017年12月16日リンクURL