普天間基地のヘリから幼稚園の屋根や、小学校の校庭にヘリからの落下物により、子どもたちの命が脅かされている。
明日29日午後2時から、宜野湾市役所前にて、教育関係を中心にしたおよそ40団体が呼びかけて、「米軍基地から子どもたちを守り、安心・安全な教育環境を求める市民集会が開催される。ご参集ください。
毎週水曜日、平和市民連絡会が担当する辺野古行きバスは早朝6時30分に那覇を出ると、いつも伊芸サービスエリアでトイレ休憩をとるころ、中城湾に昇る朝日を出会うことができる。
日の出が拝めると、「今日もみんなが無事に過ごせますように」と祈ることができるので、少し気持ちが和む気がしてうれしい。
が、今日も3回にわたって強制排除して、300台近くのダンプやミキサー車が入った。
最終日とあって、機動隊も軍警も少しいら立っているように思えた。排除の仕方がいつもより乱暴だ。
ゲートから少し離れたところで、一人舗道でプラカードを掲げていた女性を拘束しようとする機動隊に、みんなが駆け付け強く抗議し解放させた。
メインゲイトの座り込みテントの前では、市民らがフェンスに張ったバナーを、軍警が基地の中からハサミで切り落とし、外そうとしてもめた。市民らは基地内からは手の届かない位置に張り替えた。
このバナーは抗議行動を行っている日中の間だけ張り付けているもので、いつも市民らが帰るときは外して持ち帰っている。最近はそれすらもさせないということのようだ。
この日もオーストラリアなど外国からの参加者や、県外からの参加者も多数あり、昼食時間にはお正月に辺野古浜で初日の出を拝みながら行われる”初起こし”の琉舞の練習を、20人余が参加して行うなどの余裕も見せながら、今年のゲート前行動を締めくくった。
テント横の花壇では、色鮮やかな花々が座り込む人々を見守っている。
私たちは年内この日が最後だが、泊まり込みのスタッフたちが、24時間、正月もなく監視とテントを守る。陰でゲート前行動を支えるこれらの人々なくして、日々の抗議行動はありえない。
感謝しながら、4時過ぎ私たちのバスは、ゲート前を後にした。新しい年に希望をつなぎたい。
今日(26日)正午から、シュワブゲート前で「名護市民投票から20年!辺野古テント村座り込み5000日集会」が行われた。
1997年12月21日、名護市民が市民投票で「辺野古NO」の市民意思を内外に示してから20年、そして2004年辺野古海岸テント村での座り込みを開始してから今日で5000日を迎えた。
集会はまず、海勢頭豊さんの歌で開会。「沖縄の闘いは ずっと平和の闘いだった」と海勢頭さん。おなじみの月桃、喜瀬武原、やんばるの歌で集会を盛り上げた。
主催者挨拶はヘリ基地反対協の共同代表・安次富浩さん。「20年闘い続けて来れたのは、ここに座る皆さんの力あってこそ。感謝にたえない。この間に何人もの命を守る会のお年寄りたちや、仲間が、解決をみることなく他界された。天国で見守る彼らのためにも、あきらめることなく最後まで闘い続ける」と、改めて決意表明。
平和運動センター議長 山城博治さん。「みんなの力で、ここまでやってこれたことを思うと、涙が出るような感動を覚える。県民はみんな力の限り頑張っている。翁長知事!一日も早い撤回をお願いします。知事と共に我々も頑張ります!」と、訴えた。
国会議員団、県議会各会派代表もそれぞれにあいさつ。最後に稲嶺名護市長がマイクを握った。
「これまで心を一つにして頑張ってきた皆さんに、名護市の行政を預かるものとして感謝します。いま、私たちの戦いは世界に広がっている。しかし安倍政権は、来年の名護市長選、県知事選を前に、県民を分断させようと、様々な手法で画策を行っている。いまここで頑張ることは、次の世代、子や孫のさらに次の世代のため、負の遺産は残してはいけない、その思いがみんなの心を一つにしてきた。これまでの闘いは大変苦しいものだったが、いまが正念場。名護市長選、県知事選挙を圧倒的に勝利して、日米両政府に改めて明確なNO!を突き付けて行こう!」とあいさつした。
集会は最後に「自分たちの未来は自分たちで決める!新基地計画を白紙撤回させ、平和で自然豊かな沖縄の未来を、私たちの手で作っていきましょう!」とのアピールを採択して、約一時間の集会を締めくくった。
この日の集会にはおよそ500人が参加。早朝から座り込みも行ったが、9時前には81台の捨て石など積んだダンプトラックやミキサー車が入った。
辺野古ゲート前の座り込み行動、年内は明日(27日)が最終、年明けは5日からスタートする。