もう、いい加減にしろ!~今日(12月20日)の辺野古

朝7時過ぎ、辺野古へ向かう途中のサービスエリアで、いつものように途休憩に立ち寄ったら機動隊と鉢合わせ。彼らもここでトイレ休息をとっているようだ。

さらに辺野古の少し手前で、私たちのバスの前を機動隊を乗せた装甲車が行く。今日は早めに入りそうだとイヤな予感がした。

案の定、いつもより15分早く強制排除が始まった。

結局、夕方4時までの間に合計3回の排除で258台(ダンプ198台、ミキサー車29台、その他31台)に入られてしまった。正午から山城博治さんらの裁判の最終弁論の日と重なり、抗議の人たちが分散されてしまい、人数がいつもより少なくなったところを狙われたかたちだ。

さらにこの日は、ゲート前での搬入以外に、本部港から台船から貨物船に152台分の石材が積み替えられ、午後3時に出航したとのこと。本部港では本部町島ぐるみの皆さんが20人で8:00~8:30まで約30分ダンプを止めたという。しかし、ここにも県警機動隊が駆けつけ、出航まで違法に拘束されたとのこと。

この日はまた韓国から歴史を学ぶ大学院の学生たちが辺野古を訪れた。韓国でも米軍基地に反対する運動が闘われており、平和運動の場で歌われている歌を披露して、座り込みの人たちを激励してくれた。

どこかで演習が行われているようで、辺野古弾薬庫から実弾を運ぶ車がしきりと行き来しているのが目に付いた。国道をこんな危険な車が、何気なく走っているのが沖縄の現実である。↓

一週間前、普天間第二小学校に窓を落下させ、子どもたちを危険な目に合わせたCH53が「事故は人的ミスで、機体には問題ない」として、昨日から飛行を再開させ、県民の怒りかっている。沖縄中がまるで戦場のような様相だ。

12月20日は、47年前米軍人が起こした交通事故をきっかけに、群衆が米軍人の車両を次々と焼き払った「コザ騒動」が起こった日。沖縄の状況はあれから何にも変わっていないことを改めて思い知らされる。

ゲート前に新たな横断幕が掲げられた。ホントに「もういい加減にしろ!」叫びたい。

2017年12月21日リンクURL

オスプレイ墜落から一年~抗議集会に3000人

昨年、名護市安部海岸にオスプレイが墜落したのは12月13日だった。事故から一年たっても、米軍からも日本政府からも、いまだに原因究明の明確な報告もないまま、オスプレイが沖縄中を飛び回っている。

墜落一年に合わせて、昨日(15日)名護市で抗議集会が開かれ、3000人が抗議の声を挙げた。

 この一年間に墜落を含む米軍機の重大な事故は20件にも及ぶという。先週は、一週間の間に、普天間基基地のすぐそばにある幼稚園と、小学校に米軍機の部品が落下し、危うく子どもたちの命が奪われるところだった。

 

<子や孫を国防の犠牲にするな!>

    <飛ばすな!沖縄の空を>

 現在、来県中のVFP(平和を求める退役軍人の会)の皆さんも参加した。代表してイラク戦争に参加した若者が発言。「正義に燃えて軍隊に入り、テロと戦うためイラク戦争に行った。戦争に参加して初めて知ったことは、自分自身がテロリストであるだけでなく、”すべての戦争がテロである”ということだった。沖縄の皆さんと一緒に声を挙げる。命どぅ宝(ヌチド タカラ!ヌチド タカラ!ヌチド タカラ!)

 

 

 

 

 

 

 

小学校への部品落下事故に抗議のため上京中の翁長県知事に代わって富川副知事が、知事のメッセージを代読、強い怒りと共に、改めて「新基地は絶対につくらせない」と宣言。また、稲嶺名護市長も、「陸にも海にも基地は造らせない」と決意を語った。

オスプレイの墜落を「不時着水」と言い換えたNHK、さすがに最近は「着水」とはいわなくなったが、それでも「安部海岸で大破」としている。どうしても「墜落」とは言いたくないようだ。

 

2017年12月16日リンクURL

VFPの皆さん頑張る!~今日(12月13日)の辺野古

13日(水)は、県外からの参加者も多かった辺野古ゲート前。一昨年、昨年に続いてVFP(平和を求める退役軍人の会)の皆さん16人が、軍人として鍛えられた大きな体でごぼう抜きに抵抗した。

VFP沖縄支部の代表・ダグラス・スミスさん。独自のTシャツを作成して「辺野古NO!」をアピール。

機動隊の檻に囲われても、抵抗を続けるVFPのメンバー。機動隊の隙を見て、6~7名が一斉に柵を飛び越えて、工事車両のダンプの下に潜り込んだ。

その中の一人が不当にも拘束され、パトカーで名護署に連行された。

一回目の強制排除が終った10時過ぎ、普天間第二小学校の校庭に、ヘリのガラス窓が枠ごと落下し、児童一人が軽いけがをしたとの第一報が、ゲート前で座り込む人たちに伝わり、衝撃が広がった。

それでも二回目、三回目のごぼう抜きを強行する機動隊に「こんな重大な事故が起きて、子どもたちが危険な目にあっても、あなたたちは基地をつくることに手を貸すのか!」と、人々の強い抗議の声があがった。

↓なぜか、何も積んでいない空のダンプも二台~三台と基地の中へ入っていく。

結局この日も3回にわたって260台余のダンプトラック、ミキサー車が基地の中に入った。

この日は、神奈川県平和委員会のメンバー25人も、辺野古の闘いのシンボル・ジュゴンのオブジェと一緒に座り込んだ。不屈の座り込み1256日目の辺野古ゲート前から。

 

 

 

2017年12月14日リンクURL