ワンも新基地建設反対!~ 今日(5月23)日の辺野古

今日も早朝から150人人ほどがゲート前に座り込んだ。

大阪からうたごえサークルのチーム「ちばりよー沖縄」の皆さん18人が参加。一昨年、高江で森の中に入ってオスプレイパッドの建設に反対したときにやんばるの森の豊かさを知り作ったという「山原の森の小さな命」という歌を披露した。

ゴボウ抜きされ、檻の中に閉じ込められても、なお「沖縄今こそ立ち上がろう!」「沖縄を返せ」などを歌い続ける大阪うたごえサークル「チームちばりよー沖縄」の皆さん。ギターとキーボードにボンゴの青年が飛び入り参加して、美しく逞しい歌声で人々を励ました。

ご主人様の膝の上ながら、一匹のワンちゃんが「ワン!も新基地反対」と、機動隊と対峙して吠え続けた。ワンとは、沖縄のことばで「わたし」「我」の意。

前にも紹介したが、なかなかしぶとい嘘まみれ安倍内閣に、再登場のイラスト雨傘。

山城博治さんも元気に参加。

 

昨日は、ゲート道向かいの歩道で、座り込みの指揮をしていたリーダーを、拘束して檻に囲った機動隊。今日も真っ先にマイクを持って発言中のリーダーを強制性排除した。

このところの機動隊はますます荒っぽい拘束が目立つ。「何の根拠があって座り込みの人々を拘束するのか!」と抗議する市民に、ひとりの若い機動隊員がにらみつけたまま5~6分もにらめっこ。上司が肩をたたいて交代の合図をするまで二人のみらめっこは続いた。

腰にぶら下げているのは手錠、隙あらば「逮捕」の構えだ。私がカメラを向けたら、慌てて手で隠した。

座り込みを見下ろすように、基地の中で待機する警察車両が三台。警察と米軍(日本政府)の結託ぶりをうかがわせる。一方、町の中の交番は無人交番が目立つ。カウンターに電話機が一つぽつんと置いてあるだけで警察官の姿はない。「御用の方は電話してください」とあり、那覇署につながるようになっている。これでは緊急のとき、何の役にも立たない。米軍基地をまもるために、本来の警察の仕事はないがしろにされている。(余談だけど…)

いつもは県庁前の繁華街を走り回って、沖縄ヘイトをまき散らしている右翼の宣伝カーが、今日は辺野古ゲート前を何十回も行ったり来たり。

「沖縄=日本」「沖縄県民→日本人」などと書いてある。なら、「日本人らしく扱えよ!」「本当にここは日本か?」

午前9時過ぎの第一回搬入だけで、111台の工事車両が入った。

前名護市長の稲嶺進さんが、東京の集会で講演し、集まった人たちから千羽づるを預かってきたと報告。「沖縄は孤立していない。全国の支援を力にガンバロウ」と呼びかけた。

午後から別日程があり、後ろ髪惹かれる思いで正午前に辺野古を後にした。

後の情報によると、この日は最大200人が座り込みに結集。工事車両は327台が入ったが、石材の搬入はダンプ202台で平日より約40台少なかったとのこと。

また、先週土曜日以降、海からの石材搬入が止まっており、この日もなかったため海での抗議も休みになったとのことのである。

2018年5月23日リンクURL

マジムン(基地)退治 ~ 今日(5月15日)の辺野古

今日は、早朝の辺野古がいつもよりにぎやかだった。なんかうれしい!

5・15平和行進に参加した県外の人たちが、まだ残っていたことと、うるま市の島ぐるみ会議が、予定外の特別行動日を設定したとのこと。

びっくりした機動隊が急遽人員を増やし、いつもの人間の檻を、装甲車に切り替えて対処してきた。舗道を封鎖する形で、新たな柵まで設置してきた。

いつもなら、工事車両が入り終わると20分程度で、檻の中に拘束した人々を解放していたが、今日は3回とも、一時間以上炎天下に拘束し続けた。

 

 

 

 

 

たまりかねて、檻の中で市民の側も対応策を取り、近くにあったブルーシートでにわかテントをしつらえて暑さを凌ぐ。

しかし、敵もさるものひっかくもの。2度目の拘束のときには、ブルーシートを、檻の中からは手が届かないところへ片づけられてしまった。

機動隊は、少しの温情も示さず、ミミッチイ意地の悪さを発揮する。炎天下で暑いのは彼らも同じだからだ。ただし、彼らは15分か20分おきに交替する。拘束されている私たちに交替要員はいない。

「マジムン」とは、魔物、化け物を意味する沖縄のことば。まさに沖縄にとって基地は「マジムン」である。手づくりのプラカードは、個性があって「いいね!」

 

     メインゲートでも、出てくる軍車両に抗議のデモ行進。

メインゲートで、一人でも黙々と座り続ける彼は、参加者最年長の95歳。沖縄戦で家族9人を失ったという。「戦争に繋がるものは絶対に許せない」と、毎日辺野古へ通う。

本部町島ぐるみ会議は、石材の積み出しが行われる塩川で、毎日トラックを止める行動をしているため、辺野古へは2~3名しか来ることができない。なので、思いを込めたボードで参加の気持ちを表明。「ヤンバルクイナもジュゴンも仲間です」

 

米兵が、夏休みなどで本国アメリカへ帰るとき、一週間の留守中も24時間クーラーをつけっぱなしにしたまま家族で帰国する(戻ってきて部屋がムンムンしているのは嫌だから)ことは有名な話だが、工事用ゲートの上に見える兵舎も、真昼間と言うのに、外灯をつけっぱなしになっている。わが身は痛まない(電気、水道、ガス料金は日本の思いやり予算)もんね。それこそ湯水のように使える。

辺野古への行き帰り、沖縄自動車道の沿道は「いじゅの花」が満開。心が洗われる真白な花。空梅雨気味なのが恨めしい。

2018年5月16日リンクURL

日本という国にとって「沖縄」は 一体何なのか!~ 46年目の5・15

46年前の今日5月15日、沖縄にとっては、最低限の希望を託しての「核抜き本土並み」を掲げ、恋焦がれた平和憲法下への本土復帰だった。

しかし、いざ実現してみれば、米軍施政権下と何も変わらぬ現実。27年間に生じた格差と歪みばかりが目立った。

46年経って、米軍基地の重圧は、今現在ますます重くなるばかりだ。日本という国にとって「沖縄」は、一体何なのか、改めて問いたい。

 

今年も5・15平和行進が11日~13日まで取り組まれ、最終日の13日に宜野湾市の海浜公園屋外劇場で県民集会が行われた。別日程があって参加できなかったため、14日付け琉球新報紙面から>

2018年5月15日リンクURL