稲嶺進市長離任式~正義は市民が継いでいきます!

7日午後4時、名護市役所2階のピロティで行われた稲嶺市長の離任式には、たくさん(4百名)の市民が詰めかけた。

 離任式が始まる30分ほど前から花束を抱えた市民が続々と集まり始め、定刻には2階のピロティ、庁舎をぐるっとめぐる廊下まで、市民があふれるほどに。

「ありがとう、安心して子育てができました」

副市長、教育長の三役が共に離任。

いつもの笑顔で「ハイサイ!グスーヨー」と第一声を切り出した稲嶺市長。8年間を振り返って、「私の公約である米軍再編交付金に頼らない健全財政を目指して、職員たちが工夫を凝らし様々な事業を重ねて実現してきた。このような職員の意識の強さを誇りに思い、感謝している」

8年間ですべての公約を実現させてきた稲嶺市長、「ただ一つ心残りは辺野古新基地建設問題。20年にわたって国策に翻弄されてきた名護市民。歴代の市長の苦悩も偲ばれる。なぜ、こんな小さな町で、国策の判断を市民が求められなければならないのか。いつまで続くかと思うと胸が痛い」と声を詰まらせた。

新市長に対しては「選挙公約に掲げた海兵隊の国外・県外への撤退、地位協定の改定を、日米両政府に強く求め、確実に実現させてもらいたい」と。

市役所を去る稲嶺市長を400人の市民が花道をつくって送り出した。誰もが目を真っ赤にして「ありがとう!ご苦労様でした」と声をかけ、花束を渡すために花道に駆け寄り、なかなか前に進まない。

退任式に駆けつけた市民は会場に入りきれず、庁舎の外にまであふれた。花道の最後は、職員と市民に胴上げされ、稲嶺市長は「4度も高らかに空を舞い、笑顔で市役所を後にした」と、今朝の琉球新報は伝えている。

これほどまで市民に信頼され、親しまれた首長もそうはいないのではないでしょうか。

 

2018年2月8日リンクURL

決意新たに~今日(2月7日)の辺野古

6:30 に那覇を出発すると、伊芸のサービスエリアで休憩をとる頃(7:15)、日の出を見ることができる。那覇では雨がチラついていたが、真っ赤なデッカイ太陽が昇ってきた。今日は暖かくなりそうだ。

 名護市長選の結果に衝撃を受けながら、だからこそ!と誰もが気持ちを奮い立たせてやってきた。

「ゴボウ抜き」した後は、鉄格子と機動隊の人垣で、人々を封じ込める。国連の人権委が人権侵害だと忠告をしても、政府は聞く耳を持たない。

抗議する人々を、断りもなく撮影するのは違法だと裁判所の判決が出ても無視。何台ものカメラで撮りまくる県警。

名護市長選の口惜しさを跳ね返すために、昨夜遅くまでかかって手づくりしたジュゴンのぬいぐるみを、目立つようにと帽子にしたという南城市の島ぐるみの面々。

「自らを奮い立たせるために歌いたい」と、シンガーソングライターの知念良吉さんのミニライブ。

 

 

 

 

 

今日は、手づくりの暖かい甘酒の差し入れがあり、優しい甘さで身体が温まりうれしかった。

稲嶺市長と共に市議の補欠選挙に立候補した安次富浩さんから選挙戦の報告があり、官邸の露骨な選挙介入や、公安や警察を使っての不当な弾圧など、国家権力の卑劣な選挙妨害が改めて浮き彫りにされた。

選挙で闘った相手は”トグチ候補”ではなく”国”だった!

 三回目のごぼう抜きに耐えた後、午後4時から行われる稲嶺市長の離任式に向かった。その様子は明日ご紹介する。

2018年2月7日リンクURL

それでも私たちはあきらめない!くじけない!

名護市長選は残念な結果となった。
しかし、それで名護市民の辺野古新基地反対の民意が覆ったわけではない。

なぜなら選挙直前の琉球新報社の世論調査で、名護市民は辺野古移設に53・0%が「反対」、13・0%が「どちらかといえば反対」を選択し、66%を占めた。(沖縄タイムスの世論調査でも三分の二が辺野古反対を明示している)

一方で「賛成」は10・5%、「どちらかといえば賛成」が17・8%と30%にも達していない。

渡具知候補の当選は、新基地建設の是非を争点化することを避け「辺野古」を完全に封印することで公明党を抱き込むことに成功したことによる。

それに、辺野古新基地建設は名護市だけの問題ではない。沖縄全体が地元であり、すべての沖縄県民が当事者である。その民意は少しも揺るがない。

<17年の”さんしんの日”に、ゲート前で市民と共に三弦を弾く稲嶺市長>

 稲嶺市長は、2期8年で選挙公約のすべてを実現させ、国からの交付金を打ち切られても財政健全化を達成、積み立て基金も2倍に増やした。

また、政治的な手腕だけでなく、誠実な人柄で知られる。市役所職員だった時代から30数年続けている子どもたちの登校時の交通安全を守る活動を、市長になってからも出張でもない限り、雨の日も風の日も欠かさず続け、選挙翌日の早朝も、いつもの横断歩道に立ち、笑顔で子どもたちを迎えたという。このような素晴らしい市長を名護市民は失ったことになる。

名護市長選の結果を受け、県外の友人たちから励ましのメールをたくさんいただきました。ありがとうございます。

皆さんにお応えする言葉も見つかりませんが、一つ言えることは、名護市長選は「沖縄の戦い」の一部でしかありません。(確かに重要ではありましたが)一番大切なのは現場での闘いです。選挙翌日の辺野古ゲート前はいつもにもまして座り込みの人たちが駆け付け、へこたれない県民の意思を表明しました。3月13日には知事が国を訴えた裁判の判決、14日は山城博治さんたちの判決と、次々と難局が県民を襲います。私たちにいつまでも落ち込んでいるヒマはないのです。

強大な国家権力に勝つには「あきらめなることなく、勝つまで闘い続けること」辺野古の闘いの合言葉です。

2018年2月6日リンクURL