ケラマブルーに輝く渡嘉敷島で戦争と平和を考える

修学旅行の高校生を案内して、渡嘉敷島に行ってきました。快晴とはいきませんでしたが、そこそこ晴れて、目が覚めるようなケラマブルーの海を堪能しました。写真特集でお楽しみください。

            <北山(ニシヤマ)の西展望台から慶良間海峡を望む>

73年前の沖縄戦では、この青い海が真っ黒見えるほど、アメリカの軍艦が埋めつくしたと言われています。今はクジラが子育てにやってくるホエールウォッチングのメッカになっています。

<渡嘉志久ビーチの展望台から~向いの島々は座間味村 ↑↓>

「亀さんと一緒に泳げる!」と人気のとかしくビーチ。世界的にも有数のダイビングスポットでもあります。

グンバイヒルガオの花、サンゴ礁の白い砂浜、コバルトブルーの海、緑の島々、透き通るような青い空(とかしくビーチ)

  <アダンの実>

 <「集団自決」の碑のまえで>

毎年修学旅行は平和学習に徹し毎年沖縄にやってくる島根県の私立高校です。慰霊の日の23日から摩文仁をはじめ沖縄戦の激戦地・嘉数高台、伊江島、米軍基地の実態を学びに嘉手納、普天間、そして辺野古、必ず渡嘉敷島も訪れます。全行程6泊7日でびっちりと沖縄で戦争と平和を考えます。

 

帰りの船に乗る前に、港のターミナルで、案内のお礼にと、得意のコーラス(本格的な四部合唱)で沖縄の唄「てんさくの花」歌ってくれました。

しっかりと事前学習をしてやってきて、帰ると全員の感想文が送られてきます。修学旅行で沖縄を訪れる中・高校はたくさんありますが、渡嘉敷までやってくる学校はそう多くはありません。生徒たちの学ぶ姿勢と、学校の見識の高さにいつも感動させられます。

 

2018年6月26日リンクURL

「あたり前に生きたい」~ 慰霊の日 中学生「平和の詩」

慰霊の日には、毎年児童生徒の「平和の詩」が朗読される。今年は浦添市港川中学校3年生・相良倫子さんの「生きる」が選ばれた。

 23日、摩文仁で行われた「全戦没者追悼集会」で、相良さん本人が読み上げた。詩の内容だけでなく、聞く人の魂を揺さぶるような朗読が話題になっている。「2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチをも彷彿させた」と。

「生きる」

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

2018年6月25日リンクURL

平和への想い新たに~73年目の慰霊の日

沖縄戦の組織的戦闘が終わった日とされる6月23日は沖縄「慰霊の日」、今年73年目を迎えた。

数ある慰霊碑のなかで、唯一沖縄の人たちを祀った「魂魄の塔」。肉親がどこで亡くなったのかわからず遺骨が戻らなかった遺族が、ここへ参りに来る。慰霊碑の周りは午前中だけでお供え物、花、千羽づるなどでいっぱいになっていた。

杖を突いてやってきた白髪の年配の男性は、頭を垂れ手を合わせ、ずい分長い時間祈り続けていた。誰に何を語りかけていたのだろうか。

◇ ◇ ◇

 県主催の沖縄「慰霊の日」全戦没者追悼式が23日摩文仁の平和祈念公園で行われるなか、市民グループは魂魄の塔前で恒例の「国際反戦集会」を行った。

主宰者あいさつの後、まず海勢頭豊さんの歌「月桃の花」で集会がスタート。

オスプレイパッドの引き渡し後もまだ様々な工事が進められている北部訓練場。激化する訓練に墜落の恐怖におびえる高江集落、現地からの報告は生々しい。平和への想いを託して、フラダンスが踊られた。

VFP(平和を求める退役軍人会)沖縄支部を代表してダグラス・ラミスさん。「米兵の中にも、戦争を経験することで、これはおかしいと、武力で平和を築くことに疑問を持つ兵士はいる。その生きた証拠が私です。金網の中にも希望はある。あきらめずに彼らに呼びかけていくことも大切です」と訴えた。

韓国から基地撤去運動の報告。「米北首脳会談で、朝鮮半島に東アジアに、平和が訪れようとしている。この世界中が期待を寄せる中、唯一日本の安倍政権だけが直前まで会談に反対してきた。

会談が成功してもなお ”北朝鮮は信頼できない”とマスコミも含めてまだ緊張を煽っている。未来は決まっていない。でも未来をよりよくするために必要なのは相手を疑い敵対するのではなく、信頼して寄り添うことで」と。「韓国は北朝鮮を脅威とは思っていない」とも。

家族7人で平和をテーマにミュージカルを演じる「天然木」。姉妹二人で「憲法9条の歌」を披露した。

沖縄キリスト教学院大学の若者たちが「茶色の朝」に触発されて「あなたの心は誰のもの」という演劇を創り上げた。若い人たちの平和に対する思いと感性が光る。

 

辺野古の海で、海保の弾圧に屈せず小さなカヌーで工事へ抗議・抵抗を続ける辺野古ブルーの皆さん。25日の海上座り込みへの参加を呼び掛けた。

今年の「国際反戦集会」は、多くの若い人たちの姿がうれしい。

「普天間ゲート前でゴスペルを歌う会」の皆さん。2012年のオスプレイ配備以後、毎週月曜日の夕方野嵩ゲート前で賛美歌を歌うことで、基地に働く米兵に平和を訴え続けている。辺野古ゲート前でも月に一回ゴスペルを歌う会を行っている。

トリを務めたのは きむ きがんさん。チマチョゴリ姿で「人間を返せ」など平和を求める歌を披露した。

閉会のあいさつは、5月23日に辺野古で、機動隊に押され、ろっ骨4本と左鎖骨を骨折した高里鈴代さん(平和市民連絡会共同代表)が、2か月ぶりに元気な姿で登壇。もう少しで辺野古へも行けるようになると報告。

市民グループは、正午前から行われた県主催の全戦没者追悼式に参加する安倍総理はじめ安倍政権の閣僚らに対する抗議行動も行われた。

2018年6月24日リンクURL