「種」を無料貸し出し ~沖縄の伝統野菜を守る

 昨年4月、政府は種子法を廃止した。種子法とは、国民の食の源である米、麦、大豆の種子を日本の固有種として守るために、その種子の開発、育成に国が都道府県に予算をつけてきた根拠となる法律。それを活用して国と地方自治体が実務にあたり、各地域の地理や気候条件に適した品種改良を継続的に担ってきた。こうした種子法にもとづく事業から、新潟県の「コシヒカリ」や北海道の「ユメピリカ」などの優良銘柄が誕生している。今後は民間企業に任せるという。つまり種子を開発した企業が占有することが可能になった。

 種子法の廃止に加えて今年は、種苗法を改定して自家採取を原則禁止にするという。農家は作っている作物の種子を、自分で採取できない、種苗は企業から買うしかない。たとえ長年自家採取してきた作物であっても、特許登録されていなかったら、栽培すると特許権侵害で訴えられ、多額の賠償を支払うことになるという。(モンサントなどグローバル種子企業が世界各地で裁判を起こしている)

 国内唯一の亜熱帯地域である沖縄は、他の都道府県にはない特有の野菜、果物などが豊富である。これらの伝統作物を守るために、県独自の条例制定などの対策が求められている。個々の農家も伝統作物を守るためにいろいろ模索している。

 <10月4日、沖縄タイムス記事>

 種子に特許があること事態が、そもそもおかしい。どんな科学をもってしても命を一から創り出すことはできない。植物や微生物の命に多少手を加えて、農作物を作っているに過ぎない。私たち人間は植物がなくては生きていけないのだ。命の根源である植物の種子は共有こそすれ、金儲けのために企業が占有するなんていうことがあってはならないと思う。

以前にこのブログで紹介した友人が経営するブックカフェ「ゆかるひ」では、本だけでなく、種子の貸し出しも始めた。私も早速活用したいと思う。

2019年10月11日リンクURL

皆さん(沖縄・辺野古)の闘いにいつも励まされている ~ 今日(10月9日)の辺野古

 台風19号の影響が少し感じられる朝、いつものように7:00、バスで那覇を出発。時折り小雨がぱらつき、休憩で入った伊芸サービスエリアは、道路より山寄りの少し高い位置にあるので、木々がかなり揺れていた。

 8:20、辺野古に着くと九州平和フォーラムのメンバー20数名と、大阪からの女性グループ6人がすでに到着、今日もにぎやかになりそうな気配。

 

大阪からの女性たちは、かなり元気で陽気なおばちゃんたち。「沖縄では”おばぁ”というけど、大阪では”オバン”というのよ!と教えてくれた。

 いつもより人数が多かったため、バリロードの内側だけでは足りず、外側にも椅子を並べて坐りこんだ。

 逆に機動隊の方はいつもより人数が少なく、排除に時間がかかっていた。

 排除されても、元気にアピール行動で声を上げる続けるオバンたち。

今日もミキサー車が多い。

 一回目の搬入が終わり、テント下で休息をとりながら集会。千葉から来た三人組は、木更津の自衛隊基地に来年3月オスプレイが配備されることに反対の活動をしているメンバー。千葉では今月12日に”戦争する国造りNO。オスプレイいらない”県民集会を開くという。「いつも皆さんの闘いに励まされている」と。

 私は、午後から別の日程が入っていたため、2回目の搬入が始まる正午前に、友人の車で辺野古を後にした。

2019年10月10日リンクURL

講演会「安田純平 戦地取材を語る」~ 戦争を していないふりをする日本

 内戦下のシリアで、反政府武装勢力に3年4か月にわたって拘束されたジャーナリストの安田純平さんの講演会(主催:沖縄平和サポート)が、5日那覇市の教育福祉会館で行われ、戦地取材の必要性や、拘束されたいきさつ、日本政府の対応などの実情を語った。

 安田さんは「私は人質として拘束されたのではない。取材では入れなかったので、労働者として入国したため、スパイ容疑をかけられ拘束された。しかし、日本のメディアが初めに”人質”と安易に報道したことで、デマがデマを呼びネットで広がって本当に人質にされてしまった。武装勢力からは私の家族にも日本政府にも、お金の要求は一切なかった」

 戦地取材については「大手マスコミ(企業)に所属するジャーナリストは戦闘地域には行けない。空爆下で危険にさらされている人々の暮らしや苦悩など、フリーのジャーナリストたちが命をかけて取材をしているから、戦地の本当の姿(実態)が世界に伝えられている」

 自己責任というバッシングにさらされた安田さん「自己責任という言葉は、政府が自らの免罪のために言いはじめた。自己責任といいながら、じゃ”勝手にしろ”というのかとというとそうではない。解放後パスポートを取り上げられた。つまり、行くな!ということ。私に自己責任で選ぶ権利はない。政府が認める範囲で許すということであり、自己責任の取りようがない」

 また「ネット上で、自己責任で勝手に戦地に行ったのに、政府がお金を払い解放された(国に救われた)とデマが広がった。私の開放に政府は一切関与していない。私の解放のために武装勢力と無償解放の交渉をしてくれた支援団体が、家族への連絡を頼んでも政府は一切無視した。政府が私に接触してきたのは解放後である。

 このように日本政府が私の解放のために身代金を払ったというデマが広がることで、『日本は人質に金を払う国』とされ、日本人が人質にされる危険が大きくなっている。

 講演会は前段で、沖縄タイムスの阿部岳記者が「メディアの現状と沖縄の平和運動」と題して講演、安田さんの講演の後に、山城博治さんも加わってパネルディスカッションが行われた。

 講演会には350人が駆け付けた。用意した席に収まらず、会場の前、後ろ、横にも目いっぱい詰めて座り込み安田さんの話に耳を傾けた

 

 

 

 

 

 

 

上記のほかに印象に残った安田さんのことば>

「テロリストと呼ばれる人たちは、もともとそこに暮らしていた普通の人々。サダム政権に抵抗するレジスタンスだった。イラクの内戦に大量破壊兵器を理由アメリカが介入してイラク戦争が始まったとき、レジスタンスというとアメリカが悪者になるので、テロ戦争と呼んだ。テロリストとは便利な言葉。わかりやすいから」

「イラク戦争には日本も加担した。安保法を成立させてアメリカの”後方支援”と称したが、後方支援は立派な戦争。後方支援がなければ戦争は遂行できないからだ。日本が戦争をしていないふりをしても、国際的には誰も信じない

「警察を信用しているのは日本だけ。一番信用できないのは警察」

「自分が自由であるために、他の人の自由も認める」

 極端に自由を束縛された長期の拘束に、最後のころには「助けると思って殺してくれ!」と懇願するほど精神的にも身体的にも追い詰められた安田さん、「好きなことができるときに、好きなことをやってください!」と、講演を締めくくった。

 

2019年10月7日リンクURL