野山に春の実り ~ 渡嘉敷島

 陽光に照らされて、渡嘉敷島の野山はいま豊かな実りの季節を迎えています。写真を見るだけでもワクワクし、豊かな気分になる春の便りです。

 <3月15日 琉球新報 ↑>

 渡嘉敷島で過ごした子どもの頃、大人たちが野良仕事から帰ってくるのを、今か今かと待ちかねていたものです。お目当ては「やまむむ、野イチゴ、くーび、なんでんしー、ぎーま…」など、季節によって木の実は違っていたけれど、母や祖母が家で待っている子どもたちへのお土産にと、野山に実る自然の恵みを手折ってくるからです。(ケーキやアイスクリーム、果物などいくらでも美味しいおやつが食べられる今の子どもたちは見向きもしませんが…)

 それはいつも、頭に乗せたバーキ(ざる)いっぱいに収穫した作物(芋や大根、人参など)の間に一枝か二枝、まるでかんざしでも飾るかのように挿して、帰ってくるのです。その姿を見つけたときの、うきうきした気持ちと幸せ感と共に、子どもの頃の自分が、鮮やかな映像となって蘇ります。

バライチゴ

バライチゴの花

野いちご狩り2013年

これは大人になってから教えてもらったことですが、ある日、畑からの帰り道、まだ青い実がつき始めたばかりのヤマモモの木を見つけた祖母が、その一枝に目立つ色の紐(何色だったかは忘れてしまいましたが)をリボン状に括り付けたのです。「それ何?」と聞くと「この枝は私が予約しましたよ」という意味なのだそうです。そうすれば、この枝には誰も手をつけない、村人の間の暗黙の了解だったようです。

 こういうのって、いいなぁ~!しかも、一本の木全部ではなく、”一枝”というのがまたいいですよね。古き良き時代のお話です。

 

2020年3月16日リンクURL

劇団青い鳥 沖縄公演「普通の人々」満員御礼!

遅ればせながらの報告です。

 3月4日に行われた劇団青い鳥沖縄公演「普通の人々」は、おかげさまで満員御礼の大盛況のうちに幕をおろすことができました。
各方面から多くの友人・知人・仲間たちにお力添えをいただきました。ご協力をくださった方々へ、心から厚く御礼を申し上げます。

 

 新型コロナウィルスによる自粛の嵐が吹き荒れる中、「飛行機に乗れる限り、沖縄へ行く!中止はしないしない!」という劇団スタッフ・キャストの強い決意を受けて「沖縄応援団」も踏ん張り、無事上演にこぎつけました。それでも青い鳥の皆さんは、客席は半分埋まればいい方だと覚悟していたという。

 

 幕を開けてみると、半分どころか用意したイスでは足りず、急遽10席も追加するといううれしい悲鳴。

 喫茶店の片隅で向かい合う不釣り合いな男女、長い年月を共にした夫婦の結末、認知症で徘徊する母親と息子の路上での会話、目の不自由な少年が道端で出会った暖かな奇跡…私たちの日常どこにでもありそうな人間模様を三人の役者が11人の役を演じ分け、まるで本のページをめくるように五つの小さな物語が展開していく設定。

 生きていくことの切なさ、苦しさ、可笑しさ、温かさ、愛おしさがにじみ出る舞台に、ウチアタイしながら共感した人も多かったようです。

 公演が終わって劇場から出てくる人たちの表情は、誰もが感動の笑顔に満ちていました。自粛せず公演決行と聞いて「コロナなんかに負けないでね!」と家族全員で来てくれた友人がいたり、お付き合いでチケットを買ってくれた友人が、帰り際に「誘ってくれて、ありがとう!」と言ってくれた言葉が、何よりうれしい反響でした。

 予想外の大成功に青い鳥の皆さんは「奇跡の沖縄公演」と感激していました。青い鳥メンバーから届いたメールです。

 「すごい空気と時間でした。
私たち役者の前には満席以上?のお客様の息づかいと眼差しが。まばらな客席の覚悟を軽く裏切られた~何が起こったのか半分呆然としたまま、最後の場面で手を振っていました。こんな事態の中、沖縄の方々の心意気に包まれたことは宝物になりました。東京公演(3月17日)に向かうための力になりました。ありがとう以上の気持ちが湧いてきます、何だろと思ったら~皆様への敬意でした。本当に、本当にありがとうございました。天光眞弓

 「この度はそのお言葉で、その明るい笑顔で、そのご協力いただいた行動で、『奇跡の公演』にお導きくださり、 本当にありがとうございました。役者の、そして作者の私は、楽屋で、舞台裏で、舞台の板の上で、そのことを肌で感じ、何度も天を見上げました。『感謝』その言葉ひとつが浮かぶばかりでした。心より感謝いたします。沖縄のあの一日を一生忘れることはありません。ありがとうございました。天衣織女

 そして、劇団青い鳥、20年ぶりの沖縄公演大成功の陰には、コロナ騒動に臆することなく、チケット販売や、当日のコロナ感染予防対策(マスク、消毒液の確保)、劇場内の浄化作戦などに奔走した「青い鳥沖縄応援団」の存在もあります。

 コロナウイルスにも、安倍政権(?)にも、高齢化にも負けず、スタッフ、キャスト、沖縄応援団共にみんなよく頑張りました、お疲れ様!ありがとうございました。(幕)

<※舞台写真は、配られた青い鳥沖縄公演資料より>

   

2020年3月13日リンクURL

被災地に思いを馳せて ~ 3月11日の辺野古

 震災から9年目の3月11日、辺野古ゲート前の座り込みは、今なお復興途中の被災地に思いを馳せ、1分間の黙祷から始まった。

 黙祷の最中、4年前に尋ねた石巻市大川小学校の廃墟や慰霊碑、バスから降りた道端で測定したらいきなり跳ね上がった放射能測定器の針、自らもまだ仮設住宅に住みながら、辺野古へ来てくださる被災地の方々の姿などが、次々と走馬灯のように脳裏に浮かんだ。「フクシマと辺野古は、一部の人たちの利益にしかならない国策のために翻弄され続けているという意味で、相通ずるものがある。連帯して闘いたい」と彼らは言う。

 

 

 

 

<機動隊の足元に͡͡コスミレの花><テントの中で一本のケイトウがスタッフに守られてぬくぬくと育っていた><赤瓦に楽シーサーのオブジェがかわいい>

 この日は、県外からの参加者も多かった。

  東京近郊の退職教師の会の方々16名。「沖縄支援の旅」は今回で4回目という。代表の方があいさつした。

「昨年、横田基地にオスプレイが配備され、騒音や事件事故が増えている。辺野古は沖縄だけの問題ではないと気付き、今回から”共闘の旅”とツアーの名称を変えて実施している。

 高江、伊江島、宮古、渡嘉敷島をめぐり、今日は辺野古で座り込み、沖縄のことが少しずつ分かってきた。というより、沖縄の状況はいずれ本土にやってくる。いわゆる本土の沖縄化が進んでいることを実感した。横田だけでなく、千葉、岩国と、米軍・自衛隊が一緒になって軍事化が全国に広がっているのを目の当たりにしている。

 毎月1回横田基地の前で集会を行っているが、そう多くの人が参加するわけではない。しかし、基地内のイベント(戦闘機武器などを展示)には2日間で10万人の人が集まる。本土の人間は、基地が戦争をするためにあるんだということがわかっていない。ますます沖縄との共闘が大事になってきている」。

 2回目、3回目の座り込みでは歌自慢、踊り自慢、腕自慢が定番。

 中東・アラブの楽器ダラブッカを演奏する若者は、3年前、世界中を旅する途中で辺野古に出会った。以来毎年座り込みに来ているという。

 イスや隣の人に紐で身体を括り付けて排除に抵抗する女性に、機動隊も手こずる。

 どんなに呼びかけてもマスクをしない帝国警備の警備員たち。会社の方針だという。

「 国民の血税を米軍基地に使うな!税金は被災地の復興に!子どもの貧困対策に!学生の奨学金に使え!」と声を上げた。

 

 

2020年3月12日リンクURL