辺野古座り込み84%が県内から ~500人集中行動アンケートから

4月23日から行われた「連続6日間500人集中行動」は、連日800名近くの人たちが参加して、一定の成果を示した。

<4月23日 700人余の座り込みで 工事車両を5時間半ストップさせた>

 

実行委員会が行ったアンケート調査の結果が、このほど発表され、参加者の85%が県内からだったことが分かった。国外は0.2%だった。

ネットで流布される典型的な沖縄ヘイトの「辺野古の座り込みはほとんど県外、外国の人で、沖縄地元の人は少ない」という悪意の言説を見事に跳ね返した。

            <5月5日 琉球新報>

一方、最終日以外は平日だったこともあり、現役世代の若い参加者が少ないことが、改めて課題として浮き彫りになった。


    <実行委員会配布のチラシより>

2018年5月12日リンクURL

46年目の5・15平和行進団出発~基地も核も戦争もない平和な世界を目指して!

今年も5・15平和行進が、今日(11日)から3日間の日程で始まった。

沖縄の人々が本土復帰を願って始めた平和行進。辺戸岬をスタートし、県内各地を回って南部戦跡まで歩き続けた。1972年5月15日の復帰後も、基地のない平和な島を目指して平和行進が続けられている。今年は復帰46年目を迎える。

5・15平和行進、南部・戦跡コースの出発式が、今日午前9時から、県民広場(県庁前)で行われた。激励のあいさつをする城間幹子那覇市長。↑

復帰後の5.15平和行進には、全国の平和フォーラムや平和運動センターを中心に、全国の平和を願う人々が大勢やってくる。

出発式のセレモニーを終えて、予定通り9:30に南部コースの平和行進が、県庁前を出発した。

梅雨の最中の5・15は、例年大雨か炎天下かどちらか。いずれにしても過酷な行進となる。今年の一日目は、抜けるような青空の下での出発となった。

北部・基地コースは、辺野古ゲート前で出発式を行い、9:30におよそ500人(主催者発表)が、キャンプ・ハンセンを目指して行進を始めたという。

最終日の13日(日)には、13時30分から宜野湾海浜公園屋外劇場で「平和と暮らしを守る県民集会」が開催される。

 

第46回 5・15平和行進の日程は以下の通り。

2018年5月11日リンクURL

55年目のクラス会は「辺野古」で! ~ 今日(5月9日)の辺野古

朝6時過ぎ、県庁前で平和市民連絡会の辺野古バスを待つ。徐々に日の出が早くなり、バスが出発する6:30には、辺りはすっかり明るくなるこのごろ。

それでも空には宵の名残の三日月が、県庁の真上に見えた。なんだか眠そうに見えたのは、自分がそうだからだろうか。

<真ん中に小さく映っている三日月がわかるかな?>

8:00前、辺野古に着くと、今度は金網の向こうながら、「いじゅの花」が出迎えてくれた。昨日(8日)沖縄地方は梅雨に入ったようだ。

相変わらず無粋なのは県警機動隊。9時前、80人ほどが座り込んだが、ゴボウ抜きされ、150台近くのダンプやミキサー車が基地の中に入った。

座り込みの指揮を執るリーダーも容赦なく拘束し、マイクまで取り上げた。

前名護市長の稲嶺進さん、一市民になっても頻繁にゲート前へ座り込みにいらっしゃる。この方の「陸にも、海にも基地は造らせない」は、単なる選挙目当ての政治的パフォーマンスではなかったことを身をもって示している。稀有な本物の政治家だ。多くの人が握手を求めて声をかけていた。

先週に続いて今日もNHKのカメラクルーが来ていた。どんな取材をしているのか気になる。

この方々は、県外から初めての辺野古という平均年齢74歳の8人。有名私立大学の学長経験者もいれば、朝日新聞の元記者、研究者、経営者と立場も在所も様々だが、55年前大学に入学したとき、たまたま同級生になった。以来友情をはぐくみ続けてきたという。いつ終りになるかもしれないクラス会、55年目の今年はどこにしようかと話し合った結果、「辺野古」になったのだという。それこそ「いいね!」を差し上げたい!

今後も「自分たちにできることを、自分たちの場所でやっていきたい」と、それぞれが決意語った。

10時を過ぎて、徐々に人が増えて、2回目の搬入前には150人ほどが座り込んだが、午後3時過ぎの3回目も合わせて、今日も400台近くの搬入となった。

不屈1403日目の辺野古から~

2018年5月9日リンクURL