野ボタン咲き乱れる~5月の渡嘉敷島

5・15平和行進に参加した高知県平和運動センターの皆さんは、毎年渡嘉敷島へ平和学習ツアーを組んでくださる。今年も8人が参加、案内役をつとめさせてただいた。

天気は晴れだったが、濃霧注意報が出ており、いまいちスッキリしないお天気。それでもわが自慢の故郷・渡嘉敷島は充分に美しかった。

マリンブルーに輝くケラマ海峡↑ 阿波連ビートは観光客がサンゴの海を満喫していた。↓

<阿波連ビーチ↑><全く人工物のない自然のままの海岸は全国的にも貴重・渡嘉志久ビーチ↓ >

港が見える丘公園から、渡嘉敷集落を望む↑

山道は野生の野ボタンが咲き乱れていた↓

 

 

 

 

 

 

神の依り代と言われるクバの樹が生い茂るクバ山 ↓

高知県平和運動センターの皆さん。

 

2018年5月17日リンクURL

マジムン(基地)退治 ~ 今日(5月15日)の辺野古

今日は、早朝の辺野古がいつもよりにぎやかだった。なんかうれしい!

5・15平和行進に参加した県外の人たちが、まだ残っていたことと、うるま市の島ぐるみ会議が、予定外の特別行動日を設定したとのこと。

びっくりした機動隊が急遽人員を増やし、いつもの人間の檻を、装甲車に切り替えて対処してきた。舗道を封鎖する形で、新たな柵まで設置してきた。

いつもなら、工事車両が入り終わると20分程度で、檻の中に拘束した人々を解放していたが、今日は3回とも、一時間以上炎天下に拘束し続けた。

 

 

 

 

 

たまりかねて、檻の中で市民の側も対応策を取り、近くにあったブルーシートでにわかテントをしつらえて暑さを凌ぐ。

しかし、敵もさるものひっかくもの。2度目の拘束のときには、ブルーシートを、檻の中からは手が届かないところへ片づけられてしまった。

機動隊は、少しの温情も示さず、ミミッチイ意地の悪さを発揮する。炎天下で暑いのは彼らも同じだからだ。ただし、彼らは15分か20分おきに交替する。拘束されている私たちに交替要員はいない。

「マジムン」とは、魔物、化け物を意味する沖縄のことば。まさに沖縄にとって基地は「マジムン」である。手づくりのプラカードは、個性があって「いいね!」

 

     メインゲートでも、出てくる軍車両に抗議のデモ行進。

メインゲートで、一人でも黙々と座り続ける彼は、参加者最年長の95歳。沖縄戦で家族9人を失ったという。「戦争に繋がるものは絶対に許せない」と、毎日辺野古へ通う。

本部町島ぐるみ会議は、石材の積み出しが行われる塩川で、毎日トラックを止める行動をしているため、辺野古へは2~3名しか来ることができない。なので、思いを込めたボードで参加の気持ちを表明。「ヤンバルクイナもジュゴンも仲間です」

 

米兵が、夏休みなどで本国アメリカへ帰るとき、一週間の留守中も24時間クーラーをつけっぱなしにしたまま家族で帰国する(戻ってきて部屋がムンムンしているのは嫌だから)ことは有名な話だが、工事用ゲートの上に見える兵舎も、真昼間と言うのに、外灯をつけっぱなしになっている。わが身は痛まない(電気、水道、ガス料金は日本の思いやり予算)もんね。それこそ湯水のように使える。

辺野古への行き帰り、沖縄自動車道の沿道は「いじゅの花」が満開。心が洗われる真白な花。空梅雨気味なのが恨めしい。

2018年5月16日リンクURL

日本という国にとって「沖縄」は 一体何なのか!~ 46年目の5・15

46年前の今日5月15日、沖縄にとっては、最低限の希望を託しての「核抜き本土並み」を掲げ、恋焦がれた平和憲法下への本土復帰だった。

しかし、いざ実現してみれば、米軍施政権下と何も変わらぬ現実。27年間に生じた格差と歪みばかりが目立った。

46年経って、米軍基地の重圧は、今現在ますます重くなるばかりだ。日本という国にとって「沖縄」は、一体何なのか、改めて問いたい。

 

今年も5・15平和行進が11日~13日まで取り組まれ、最終日の13日に宜野湾市の海浜公園屋外劇場で県民集会が行われた。別日程があって参加できなかったため、14日付け琉球新報紙面から>

2018年5月15日リンクURL