今日(1月31日)の辺野古~沖縄を伝えない本土メディア

平和市民連絡会のバスで、早朝6:30那覇を出発。県外からの参加者も数人乗車していた。辺野古までの1時間数十分の間、これらの方々の話を聞いた。

これまでにも辺野古へ行ったことがある人がほとんどだったが、横浜から参加した男性は「毎週土曜日の午後2時間ほど、駅前で辺野古や高江のことを訴えるスタンディング行動を仲間たちとやっている。しかし、沖縄へは来たことがなく、意を決してやってきた。新聞を2紙取っているが、沖縄のことはほとんど載らない。国策に反することは取り上げないという感じだ。沖縄のことを知るには現地に行くしかないと思った。今日辺野古で見聞き、体験したことを、仲間にも伝え、道行く人たちにも訴えたい」と熱く語った。

また、数年前まで30年間沖縄に住んでいたという女性も、「今は高知県に住んでいるが、ほんとに新聞もテレビも沖縄のことは全く取り上げられない」と嘆いた。

県外の人たちは沖縄に無関心というより、知らされていないという方が正しいかもしれない。それでも関心を持ってアンテナを張れば、いくらでも情報は得られる時代であることだけは確かだが…。

寒さと、冷たい雨の中、8時前から座り込みを始めた。水曜日は集中行動日ではあるが、本部の採石場前でも阻止行動が取り組まれているほか、終盤を迎えた名護市長選挙の応援に人員が裂かれ、ゲート前はいつもより人が少なかった。

9:00前、やってきた機動隊は、「ここからやれ!」との隊長の指揮で、私のすぐ前から排除を始めた。

 非暴力の抵抗を貫く市民らを容赦なく排除、機動隊と鉄柵で囲われた檻へ。

全員排除した後、雨だというのになぜか散水車。砂埃がたつので、苦情を言ったら、2か月ほど前からトラックがゲートに入る前に、散水車で水を撒くようになったのだが、雨でも同じことをする。税金の無駄遣い、予算消化か?

 人々の抗議の声をよそに、この日も9時過ぎの第一回搬入だけで、102台ものダンプやミキサー車が基地のなかへ。

次の搬入までには2時間半ほどの間がある。その間に昼食をとることになっているが、この日は、県外からきた女性グループが、宿舎で手づくりした温かいおきなわ風ぜんざいの差し入れがあり、悔しさと寒さに震える人たちの気持ちを癒した。

テント向かいの道路では、県民の抗議行動を尻目に、キャンプシュワーブの米兵たちが訓練のランニングで駆け抜けていった。

 

2018年2月1日リンクURL