ヘリ基地反対協に池学淳正義平和賞(韓国)

沖縄の米軍基地に抵抗する非暴力の闘いが世界的に注目を集めている。

昨年のショーン・マクブライト平和賞(ドイツ)に続いて、今度は、平和や人権などのために活動する個人・団体に贈られる韓国の池学淳(チハクスン)正義平和賞が、辺野古で新基地建設に反対して20年以上も抵抗を続ける「ヘリ基地反対協議会」に贈られることになり、22日ゲート前の座り込みテントで、その受賞式が行われた。

賞を与える側が、受賞者の現場を訪れて授与するという異例の授賞式となった。辺野古ゲート前。

韓国から訪れた正義平和基金の一行は、ゲート前で座り込む沖縄の人たちが、機動隊によって、強制的には排除・拘束される様子を目の当たりにした。

その直後に行われた受賞式で、正義平和基金のピョン・ヨンシク審査委員長は「受賞団体の活動する現場で授賞式を執り行うことは、私たち池学淳正義平和基金にとっても、またとない意義深い機会となった。この受賞が、沖縄の人々を励まし、永久的な平和を実現するための一つのきっかけになることを願っている」と、沖縄へ熱い連帯のメッセージを送った。

それに応えて、ヘリ基地反対協の安次富浩代表は「沖縄の闘いが国際的に評価されたことを誇りに思う。これからも県民が強く団結し、非暴力の抵抗で平和な島を取り戻したい」と、感謝と決意を述べた。

      <浜のテントを訪れた韓国正義平和基金のメンバー>

この日もゲート前では、違法工事に反対して座り込む市民を、県警が強制排除して、200台以上のダンプが工事用資材を搬入した。

2018年1月23日リンクURL

アフリカのワトト(子どもたち)による歌とダンスとお話 You can Decide~あなたは決断することができる~WATOTO(ワトト)コンサート

「ワトト」ってご存知でしょうか。ワトトはスワヒリ語で子どもたちという意味だそうです。

ワトトは、ウガンダの親を失い、貧しさと孤独の中に活きている弱い子供たちをケアする団体の名称です。
エイズに感染した母親から生まれ、治療も受けられない貧困のため親から捨てられた子どもや、内戦によって親が殺され孤児となり、あるいは誘拐され少年兵として人を殺す訓練受けるという、幼いころからの恐ろしい苦難の中に生きてきた子どもたち…。

そんな子供たちの受難を知ったある宣教師夫妻が、1986年に立ち上げたのが「ワトト」のスタート。苦難の中でワトトの活動によって救われ、信仰を得ることによって神の愛を知り、教育を与えられ、人としての尊厳、誇りを取り戻した子どもたちが、今度はかつての自分のような弱い、貧しい子供たちのためにとワトトを広く伝える活動を、世界規模で展開しているのがワトトコンサートです。

20日(土)、読谷村の白い家フェローシップチャーチで開催されたワトトコンサートに誘われて行ってきました。赤ちゃんの時に路上のゴミ箱の中に捨てられていた男の子は、いまパイロットになる夢を抱きながらワトトの活動に生き生きと目を輝かせて参加しています。

エイズに感染した母親と共にワトトに救われた少女は、「将来何になりたい?」と聞かれて「大統領になって社会を変えます!」と断言、会場から大きな励ましの拍手が送られました。

 観客をも巻き込んで人間の尊厳と生きる喜びを歌い踊るワトトコンサート。観客も希望と勇気、元気を与えられます。 コンサートを活動を行うワトト・チルドレンズ・クワイヤは、 1994年以降世界中をまわり、5000万人とも言われるアフリカの、HIVエイズや貧困、その他の病により孤児となった子どもたちへの支援を訴えて活動をしています。

ワトトについては、http://www.watoto.asia/ja/about-us/the-watoto-story/検索してください。

今回のコンサートを主催した「白い家フェローシップチャーチ」はステキな教会でした。

まだ、クリスマスイルミネーションが教会を包んでいました。

2018年1月21日リンクURL

国際通り不発弾処理で一時封鎖

今日(20日)那覇のメインストリート国際通りが、不発弾処理のため一時封鎖された。

 戦後73年たっても、いまだ2000㌧以上の不発弾が地下に埋まっていると言われる沖縄の現実が、またまたあらわになった国際通りの封鎖。(午前10時20分、県庁前の交差点)

那覇市松尾の「国映館」跡地のホテル建設現場で発見された米国製50キロ爆弾の不発弾処理が、午前10時40分から発見現場で行われ、国際通りを含む半径166メートルが午前10時20分から約1時間封鎖された。

<青い屋根の2軒隣が、不発弾処理現場>

 この不発弾処理に伴い、発見現場周辺の一般世帯約1千世帯、ホテルや土産店、コンビニエンスストアなど約350事業所の計約2500人が避難対象となった。

 観光客で賑わう国際通り。物々しいい警備に外国の観光客もいぶかしげに「何事か?」と警察官に質問していた。

処理作業は予定より20分以上遅れ午前11時23分ごろ完了し、住民避難と交通規制が解除された。国際通りを封鎖しての不発弾処理は2004年、昨年9月に続いて3回目。

 

 

2018年1月20日リンクURL