第2回公判では、一人娘を理不尽にも奪われた両親が証言台に立った。「娘の笑顔が生きがいだった。これから何の楽しみもなく、ただ生きるだけ。悲しすぎます」と心情を語った。
ケネス・シンザト被告は、裁判官のすべての質問に対し、「黙秘します」と言ったっきり、何も答えなかったという。
しかし、取り調べ段階でのでの被告の供述から、殺害当時の状況が明らかにされ、傍聴席から、親族の叫ぶような嗚咽が聞こえたと、傍聴した人たちの話が伝わってきた。
強姦を目的に女性を物色していたケネス被告。自宅近くでウォーキングをしていた20歳の女性の頭を、鉄と鉛でできた打撃棒(スラッパー)で何度も殴り、首を絞めて引き倒し、草むらに引きずり込み、予め用意していたナイフで首や膝の裏を刺して、死んだことを確認したという。それでも、殺意はなかったと弁護側は主張、人ひとりの行為であり、基地や軍隊の存在とは関係ないとも強調している。
人を殺す術を徹底的に訓練された海兵隊の兵士でなければできない残忍な手口。結婚を前に、娘の晴れ姿を楽しみにしていたであろうご両親にとって、こんなむごい娘の最後の姿を知ることが、どんなにか耐えがたかったことか。想像するだけでも苦しい。
6:30那覇を出発。今日もまばゆい朝日のシャワーを浴びながら、沖縄辺自動車道を辺野古へ向かう。
国は、13日から船による海上ルートでの石材輸送を続けながら、工事ゲートからのトラックによる搬入も続けている。この日も3回にわたって座り込んで抗議する市民を強制排除して、150台のトラックを入れた。
船への積み荷が行われる国頭村奥漁港でも市民らが抗議をして座り込み、積み荷を阻止する行動を行っているが、今回の海上輸送は、抗議する市民の分散を狙っているのではないかともみられている。
今日は、海上搬入のことが気になり、一回目のごぼう抜きの後、辺野古漁港から、抗議船に乗せてもらい、海に出た。
4~5か月ぶりの浜のテント、長い闘いの日数を刻む看板と、3匹のワンちゃんが出迎えてくれた。
抗議船「美ら海(ちゅらうみ)」に乗って、まずK1護岸の工事が行われている場所へ。
私たちが乗った抗議船「美ら海」は、水質汚濁防止のためのオイルフェンスに船体を接触させるようにして停めた。そこでは、数艇のカヌーと2隻の抗議船が、石材を投入し重機で固める作業に抗議の声をあげていた。
拘束され、海保のボートに乗せられてもなお抗議を続けるカヌーメンバー。
フロートを乗り越えて中に入ったカヌーメンバーの一人は、海保にカヌーをとりあげられ、20~30分も、海保に腕をつかまれたまま、海の中に立たされていた。
一人乗りの小さなカヌーを、高速で走り回るボムボートに数人が乗り込んで、体当たりするなどして海に落とす海保の乱暴な拘束の仕方が問題になっている。
ここはN5と呼ばれる場所。海岸にそって仮設道路の石積みがのびている。
この日は天気が良く、海も輝いていた。海底のジュゴンの餌場や海藻、サンゴまでが透き通った海水の下に肉眼で見ることができた。
これ(名前を聞くのを忘れましたが…)で、海の中をのぞくと海底まではっきり見える。
白いハマサンゴにコバルトブルーの熱帯魚・ルリスズメが群がり美しいい!これが竜宮城なのだ!この海を埋めるというのか?!
10時~12時まで2時間近くの海上抗議を終え、浜のテントに戻ると、栃木県から修学旅行の高校生が、浜のテントで沖縄のことを学んでいた。
時代を担う若者たちが、何かを感じ取って帰ってくれたら、嬉しい。