不発弾処理で避難することに

沖縄の新聞には、毎週末と言っていいほど不発弾処理の告知が掲載されます。

沖縄の不発弾処理については、先週、このブログの「終わらぬ戦後」シリーズの一つとして紹介したばかりですが、
まさか、このタイミングで自分が避難の対象になるとは!なんというシンクロニシティでしょうか!

   毎日通っている事務所が久茂地にあり、明日10時20分から午前中は、事務所を退避しなければなりません。不発弾処理で奇跡の一マイル・国際道理が封鎖されるのは2004年以来13年ぶりということです。

事務所のスタッフと、「映画でも見に行こうか」と話していますが…。

なんか、生々しいですね。

<23日追記>

不発弾処理は無事に終わりました。避難騒ぎの一部始終を見届けたいと思っていましたが、この時間、私はたまたま親戚の葬儀が重なり、残念ながら叶いませんでした。

それにしても、沖縄の不発弾処理は、これまでのように見つかったものだけをその都度処理するというだけでは、あと70年もかかると言われています。

戦争は国策であり、その結果生まれた負の遺産は、国の責任で対処すべきもの。磁気探査などで積極的に取り除き、早くゼロにしてもらいたいものです。

2017年9月22日リンクURL

山城博治さん、稲葉さん、添田さんの無罪を勝ち取る決起集会

20日水曜日は、辺野古の帰りのその足で、18:30から行われた「山城さん、稲葉さん、添田さんの無罪を勝ち取る決起集会に参加した。公判は20回ほど行われる予定で、この日が11回目、ちょうど折り返し点ということでの集会。

弁護団を代表して講演した三宅弁護士は「政府のほうが犯罪を犯している。裁かれるべきは政府。この裁判に負けるということは、日本の民主主義の死を意味する」と、この裁判の意義と重要性について語った。

山城さん、稲葉さん、添田さんもそれぞれ決意表明。
山城さんは「この裁判は、沖縄の反基地の闘いに対する弾圧以外の何ものでもない」と、いつものヒロジ節で力強く決意を述べた。

この日は偶然にも博治さんの65歳の誕生日ということで、会場の参加者150名がハッピイバースディを歌う中、花束が贈られた。

最後は仲間たちと、いつもゲート前で歌う唄を肩を組んで歌い「裁判勝利」を誓った。

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