ユクシムニーや門(ジョウ)までん通らん~今日(3月7日)の辺野古

バスで辺野古へ向かう途中、いつも高速の伊芸サービスエリアで休息をとる。下車するといきなり爆音に襲われた。ここはキャンプ・ハンセンに隣接しており、ときには実弾演習の流弾も飛んでくるエリアにある。爆音は実弾演習の射撃音。15分間の休息時間中、途切れることなくずっと続いていた。

東の空からは真っ赤な太陽が昇ってきた。今日は暑くなりそうだ。

ゲート前のテントに着くと新しい横幕が掲げられていた。

 

きょうは東京から6人の若者が座り込みに参加。安保法制に反対して国会行動する中で生まれた若者たちのグループで、6人のうち二人は2年前にも一週間ゲート前で座り込んたという。今回も一週間の予定でゲート前で座り込み、この経験を東京に持ち帰って、これから活動に生かしたいとあいさつした。

今日も9時前、12時前、3時前と三回にわたって強制的に排除され、354台(これまでの最高)のダンプやミキサー車が入った。明らかに違法な過積載のダンプが県警や防衛局の職員に守られて続々と…。

これを民間の工事で行えば、犯罪として取り締まられ、ダンプの業者はもちろん工事の発注主も罪に問われる。辺野古の工事は国が発注主なのだ。国の工事なら違法もOKということか!

工事資材を運ぶダンプに交じって火器弾薬を積んだ米軍車両が何度もゲート前を通過した。辺野古弾薬庫から、キャンプ・ハンセンの実弾演習に弾薬を運んでいると思われる。

空にはオスプレイが不気味な音を響かせて私たちの頭上を飛んで行った。朝、伊芸のサービスエリアで聞いた爆音との関連がここで目に見える形で現れる。

 

「ユクシムニーや門(ジョウ)までいん通らん」、今日の辺野古ゲート前でこの言葉が何度も話題になった。「嘘は門までも通用しない」つまり、すぐばれてしまうという意味の沖縄のことわざ(黄金言葉)である。

恥ずかしいことに、すっかりユクシ(嘘)が常態化してしまったこの国の政府・国会のことである。森友8億円値引き文書の改ざんがバレたのだ。政権が退陣に追い込まれかねないほどの大嘘らしい。

それだけではなく、辺野古・大浦湾の活断層の疑いについても、国土地理院の資料から消去し「辺野古に活断層はない」と閣議決定した安倍政権だが(閣議決定さえすれば、なんでもOKになるのか?それなら国会はいらないよね)、防衛省の調査資料に活断層の存在が記されているだけでなく、埋め立てを予定している海底が軟弱地盤であることも明確に記されているということがばれてしまったのだ。

                                                     <3月7日 琉球新報 ↑↓>

 

2018年3月8日リンクURL

うりずん~若夏

国内唯一の亜熱帯気候を有する沖縄は
冬からいきなり夏になり、夏からいきなり冬になったりと
季節の変化があまり感じられないと思いがちですが

月桃の花

月桃の花

なんの!なんの!わが先達は少ない変化の中で
いや!変化が少ないからこそ、
自然のなかに小さな季節の移ろいを見つけて
暮らしの中に文化を生み出してきたのではないかと
このごろしきりと感じるようになりました。

「うりずん」、春から夏に向かう季節区分を
沖縄の先人たちは、春→うりずん→若夏→夏、と表現し
しかも、若夏と夏の間にさらに梅雨が重なります。
梅雨の期間もまた、いくつもの季節の言葉のグラデーションがあるのです。

「うりずん」は麦穂が出る旧暦2~3月ごろ
「若夏」は稲穂が出始める旧暦4から5月ごろと、ものの本には書いてあります。

テッポウユリ

テッポウユリ

ちょうど「うりずん」から「若夏」へ移るこの季節が
私は一年中で一番好きです。

このところGWだというのに、梅雨の走りでぐずついた天気が続いていますが                                           連休の後半から連休明けにかけて、梅雨に入り、                                                            梅雨が明けると夏へとまっしぐらの沖縄です。                                                              (沖縄気象台は5日沖縄地方の梅雨入りを発表した)

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2014年5月5日リンクURL

しまくとぅばの日

今日9月18日は沖縄県が条例で定めた「しまくとぅばの日」
制定から7年たって、なぜだか今年は例年になく盛り上がっている。

琉球舞踊

琉球舞踊

かつては「方言」としてさげすまれ、
あるいは、教育上よくないと厳しく禁止、処罰の対象ともなった時代があつたと思うと、 隔世の感がある。

戦争中は「方言を使う者はスパイ」とみなされ、日本軍に射殺された住民も少なくない。

戦後も、語彙の少ない劣った言語と決めつけられて、
学校では、「標準語励行」が年間を通しての週訓であった。
それは、私が高校性のころ(1960年代はじめ)までまだ残っていた。

それでも、反抗的で、悪ぶるのがかっこいいと思っている男子生徒は
わざと「方言」を使った。

叱られたり、罰せられたりしたくない、いい子ちゃんでいたい女子生徒は
ほとんど「方言」を使うことはなかった。

その名残で私は、聞くことはほぼ完ぺきにできる(おばあちゃん子だったため)」が
しゃべることがほとんどできない。
そのことはいま、悔やんでも悔やみきれない後悔となっている。

日銀那覇支店の門獅子(シーサー)

日銀那覇支店の門獅子(シーサー)

「しまくとぅば」と呼ばれるれるようになったのは
ここ10年くらい前からである。
いぜんは、「方言」が一般的だった。

しかし、琉球の言葉は、日本語のなかの一方言ではなく
琉球諸語として言語学的にも認められたこともあって
ある時期から「うちなぁぐち」と呼ばれるようになった。

しかし、「うちなぁ」は、沖縄本島だけを示すもので
宮古・八重山をはじめ、島々で言葉がまったく違い
首里、那覇の言葉を中心する「うちなぁぐち」には含まれないとの異議が出され、 「しまくとうば」へと変遷してきた。

「しまくとぅば」の「しま」が漢字でないのは
同じ沖縄本島でも、地方や地域で言葉は大きく異なる為で
「シマ」には、島々だけではなく、地域あるいはふるさとの意味合いがあることから
「しまくとぅば」となってきたと、私は理解している。

昨年あたりから、那覇市が、役所を訪れる市民へのあいさつ・「はいさい・はいたい運動」展開したり、 学校教育のなかに取り入れる努力をするなど
行政が率先して「しまくとぅば」ムーブメントを起こし、県民に広がりつつあるのはなぜなのか?

そこには、辺野古への新基地建設、オスプレイの強行配備など
日本政府の沖縄に対する差別としか言いようのない理不尽な仕打ちと
無関係ではないと感じるのは、私だけではないだろう。

DVC00169.JPG地元新聞・沖縄タイムスは、今日の社説「うちなぁぐち」で書いている。
『忘んなよ「沖縄ぬ肝心」(忘れるな、沖縄の魂の叫び)』

沖縄出身の詩人・山之口獏が、戦後沖縄に帰省した折、出会った故郷の人たちに沖縄の言葉であいさつをしたら、 「こんにちは」と日本語で返ってきたことに対して

「ウチナァグチマデン、イクサニサッタルバスイ
(沖縄の言葉までも、戦争にやられてしまったのか!)」と 嘆いたという有名なエピソードがある。

また、沖縄の先人は古くから
「しまくとうば忘りいねぇ、国失ないん (島の言葉を失うことは、国を失うことである)」と教えている。

言葉は生き物、文化、時代をうつし、暮らしのなかでしか生き残れない。

ふるさとの言葉を失ってしまった自らの反省として、40年以上も前から、うちなぁぐち・しまくとぅばを、仕事のなかでも積極的に使ってきた者としては、願わくば、過激なナショナリズムに陥ったり、その道具に利用することだけは、してほしくないと心から祈っている。

2013年9月18日リンクURL