やんばる・高江の森 観察会に行ってきました‼

                          <リュウキュウハグロトンボ>(荒川川の沿道で)

多くの県民の反対を押し切り、手付かずの原始林を破壊、国がオスプレイ訓練のための着陸帯を建設したやんばるの森は、世界的にも有数の生物多様性豊かな森です。

この一帯は、亜熱帯の自然林と渓流が良い状態で保たれ、多様な生物の生育地、生息地となっています。ここでは、4000種類を超える極めて多くの野生生物が確認されています。やんばるの固有種(この地にしか生息していない)は植物が12種、動物が11種記録されています。レッドデータブックに記載された動植物も、沖縄版で188種、環境省版で177種と、高江を中心にやんばるの森は、多くの固有種、固有亜種、絶滅の恐れのある種を含む生物多様性に富んだ森なのです。

高江へのヘリパッド建設がいかに多くの動植物に影響をもたらしたのか、その一端でも垣間見れたらと、この観察会に参加しました。(8月22日・火) ガイドは蝶の専門家・アキノ隊員こと宮城秋乃さんです。

                    <観察会講師:宮城秋乃さん(蝶の専門家)

 荒川川沿いの林道を入ってすぐに小さな湧き水の水溜まりがあり、アキノ隊員の指摘によりよく観察すると、水深1センチもないような何気にない水溜まりにオタマジャクシやトンボの幼虫・ヤゴ、カタツムリ他、小さな生き物がいっぱい!リュウキュウハグロトンボの雌雄が一緒に飛びながら水面に卵を産み付けている様子も観察できました。

カメラワークが下手で、ピンボケになってしまったけど、カタツムリ2種。

←緑色のカタツムリはアオミオカタニシ。殻は透明で、内臓が緑色なので、緑のカタツムリに見えるのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これもピンボケでごめんなさい!沖縄のどこにでもいるキノボリトカゲ。アキノ隊員に捕まえ方を教えてもらい、何人かがチャレンジしました。

沖縄は蝶の天国と言われています。乱舞する蝶・リュウキュウアサギマダラの群れを写したつもりですが、うまくとらえきれていません。ザンネン!!

       <枯れ木にあいた穴は、ノグチゲラが餌をとるためにあけたものだそうです>

アキノ隊員の説明で印象的だったのは、一本の枯れ木の物語。イタジイの老木が枯れたまま立っていますが、森の生物たちにとってはこれが貴重な住処になったり、ここを住処とする昆虫を餌にする鳥がいたり、やがて朽ち果て土に返るまで十数年も、たった1本の枯れ木が「何十種類もの多様な森の生き物たち」を育むのです。

「そういう意味では、オスプレイパッド建設のために何万本もの木々が切り倒され、山肌がむき出しにされたことが、森の貴重な生物たちに与えた影響が、いかに甚大なものか、はかり知れません」。と、悔しそうに語るアキノ隊員。

清水が流れる荒川川。子どもの頃フナやウナギを釣ったり、エビをとったり、洗濯をしたりした慶良間の川を思い出しました。見覚えのある貝や手長エビ、カニ、小さな魚たちがたくさん息づいていました。

                今回やんばる・高江の森観察会に参加した面々です。

 

2017年8月28日リンクURL

いつも前向きではいられない

デザインが気に入って買ったTシャツです。
渡嘉敷島の港の売店で、10年ほど前に見つけ、これは2年前に買い替えた2代目になります。

このTシャツが気に入ったのは、ここ(表↑)ではなく、裏(背中↓)のほうです。

いつも前向きでいたいのはやまやまですが、人生いろいろあって、365日いつもまえむき、というわけにはなかなかいきません。後ろ向きになっている自分に気が付いて、それでさらに落ち込んでネガティブになってしまう。人ってそんなもんではないでしょうか?

思わず抱きしめてあげたくなるようなカメさんの、消え入りそうな後姿。いつだったかの自分の姿でもあるからでしょうね。

「ときどき、うしろむき( ;∀;)でも、いいじゃない!」って言ってくれる人がいてくれたら、なんか救われる気持ちになりません?

 

 

2017年7月28日リンクURL

北島角子さんを悼む

ありがとう!北島角子さん

沖縄の一時代を創ってきた大先輩が、また一人亡くなられた。北島角子さん(享年85歳)。沖縄演劇界で本格的に“女優”と呼ばれた初めての人だったのではないかと、私は思う。

北島さんとの出会いは、もう40年近くも前、1981年北島さんが、一人芝居「島口説」で文化庁の芸術祭優秀賞を受賞したとき、東京のある機関誌からインタビー記事の依頼を受けた。取材のため開演前の楽屋に伺ったのが、直接お会いするきっかけだった。

1985年、勤めていた放送局のイベント企画「うないフェスティバル」の一環として、北島さんに一人芝居を演じていただいたことで、さらにご縁が深まった。

      <1985年 うないフェスティバルで記念講演の沢地久枝さんと、北島角子さん>

うないフェスティバルは、日ごろ家庭的にも社会的にも重い役割を担いながら、陰の存在に甘んじている女性たちを表舞台に引っ張りだそうという、「国際婦人(女性)年」に触発された沖縄の女性たちが企画した一大イベントだった。それぞれの分野ですでに表舞台で活躍している女性たちに旗印になってもらった。そのお一人が北島さんでした。

うないフェスティバルで「島口説」を上演したいとお願いに行ったところ、厳しい返事が返ってきた。「芝居がどんなにお金がかかる仕事かわかっているか?」と。「出演するのは私一人だけど、裏でどれだけ大勢の人たちが動き、どれだけ大掛かりな装置が必要か、準備に膨大な時間がかかる。それを全部引き受ける覚悟はあるのか?」ということだった。さらに著作権や上演権の問題などクリアしなければならない問題が山ほどあった。自分の浅はかさが恥ずかしかった。

しかし、人生の先輩でもある北島さんは、経験の足りない若造の出鼻をくじくだけで終わらせることはしなかった。「ヌーガ(なんで)人の作品に頼るか?しかも男が作ったものに。女たちの祭りなんでしょ!自分たちで作りなさい。アンヤレー ンジイサ(それなら、出演するよ)」。ごもっともなお叱りだった。

その結果生まれたのが、後に北島さんの持ち芸となった一人芝居・「赤いブクブクー」「いのち」「にほんじん?」などのうない口説シリーズである。うないフェスティバル実行委員会メンバーの一人、座間味島出身の女性史家・宮城晴美さんが、集団自決の生き残りである祖母・母親の戦争体験を基に脚本を書き、北島さんがうちなぁぐちに直して演じた。原作があるとはいうものの、北島さんでなければ作り上げられない独特な持ち味の作品であることは確かである。

               <うない口説「赤いぶくぶくー」を演じる北島さん>

ハンバーガーを“シシクートールパン(肉をくわえたパン)”と表現し、私たちを抱腹絶倒させた。今でもときどき思い出し笑いをしてしまう。普通、芝居で老人を演じるときは腰を曲げて杖をつく。しかし沖縄オバーは逆に腰を反らす。確かに、沖縄では腰の曲がったお年寄りはあまり見かけない。それは寒いところと暖かいところの違いだと、北島さんは教えてくれた。なるほど!鋭い観察眼である。


北島さんには、仕事人として、うちなーんちゅとして、女性としてたくさんのことを教えていただきました。ありがとうございました。頑固に沖縄を愛し、平和を願って活動してきた北島さん。その根っこにはやはりご自身の戦争体験がありました。我が子や孫の世代にあの辛い体験はさせたくない。だから基地の島沖縄を「平和の島」に変えたい。それは辺野古、高江の座り込みに来られる高齢の方々(戦争体験者)に共通する思いでもです。

残された私たち戦後世代はその尊い遺志を受け継ぎ、これからもうひと頑張りしたいと思います。いつか北島さんに再会したとき「シタイ!ユーチバテーサ(がんばったね」と言ってもらえるように。どうぞこれからも叱咤激励してくださいね。
北島さんに会えないのは寂しいですが、魂の故郷へ帰られるのですから、悲しみません。さよならも言いません。アンシェー、マタヤータイ(それでは また会う日まで!)

2017年4月13日リンクURL