敵地攻撃能力の最たるものが辺野古 ~ 国の違法工事許さない抗議集会

 今日(22日)は、沖縄防衛局前で行われた抗議集会(オール沖縄会議主催)に参加した。違法だらけで強行されている代執行による辺野古大浦湾の埋立て工事に対する緊急抗議集会である。

10:30~10:55  抗議集会

11:00~11:30  代表団による防衛局への申し入れ

11:35~12:00 報告集会 

 上記のスケジュールで行われた集会で、憲法学者である高良鉄美衆議院議員は「憲法95条は”一つの地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない”と定めている。地方自治の民意に背く法律はできない」よって代執行は憲法に沿わない判決と糾弾、「敵地攻撃能力の最たるものが辺野古基地である」と指摘した。

 平和市民連絡会の北上田毅氏は、防衛局への申し入れの内容を説明、「1、事前協議、2、海に投下する石材の洗浄、3、現在行われている工事は設計変更時のものと大きく変わっており、再度設計変更を行うべき、4,南部からの土砂採掘の4つの約束違反について問いただす」


 代表団が防衛局へ申し入れを行っている間、集まった市民らは、それぞれの活動を報告、意見交換を行った。

 うるま島ぐるみの会議の照屋寛之共同代表は「国は沖縄県民の声など聴く耳を持たない。これを政治的難聴と言う。安倍政権はすべて政治的難聴を患っている。沖縄防衛局も同じ。聴かないならば、聴くまで頑張ろう!沖縄を何と思っているのか!」と憤った。

 さらに「台湾有事を煽り、アメリカの言いなりになって、これから6年間に60兆円へと軍事費を拡大しようとしている。これだけのお金があれば、全国の大学の授業料を半額にできる。高校の授業料、小中学校の給食費を無料にできる。軍隊を持たないコスタリカは軍事費を教育と福祉に回した。福祉と教育充実すれば国民は豊かになれる」と。 

 40分ほどして戻ってきた代表団の報告、申し入れに対する防衛局の返答は予想されたとはいえ、失望と怒りが湧く。

 1,事前協議はいま行っている。(工事開始してからするのは事前協議とは言わないだろう!)

 2,石材の洗浄は、従来通りやっている。(だったらなぜ白い粉塵が舞あがっているのだ!)

3,申請とは違う工事、今やっている工事は設計変更の対象外。(対象外の工事はする!。再度設計変更申請をせよ)

4,南部土砂使用、まだ決まっていない。(なら、使用するな!)

 公共工事に対する異議申し立ては、本来権利を侵害された市民(私人)が、公の機関に対して行うもの。私人と偽って何度も沖縄県を訴えた防衛局。

 

2024年1月22日リンクURL

辺野古の工事費は被災地へ! この国はお金の使い方を間違えている ~ 1月17日の辺野古

 7:35 辺野古へ向かうバスの中、中城湾に昇る朝日がまぶしい。

 黒い雲に覆われた地球社会だが、暗雲の向こうには間違いなく輝く太陽がある。隠れているだけだ。明けない夜はない。海に注ぐ光の筋(天使の階段というそうだ)が、希望を感じさせてくれる。

 9時前、第一回めの座り込み。今日も辺野古での一日が始まる。

 代執行によって、いま命の海・大浦湾に投げ込まれている石材。捨て石と呼ばれている。まさに沖縄の姿そのものだ。日本政府にとって、沖縄はアメリカの機嫌を取るための捨て石に過ぎない。沖縄戦のときと同じように。そのときは米軍の餌食にされた。

 一回目の座り込みが終わった後、大浦湾側の瀬嵩の浜から海の様子を見た。今日は風が強く海が荒れているため海での作業は行われていないとのこと。捨て石の投入は行われていなかった。

 やんばる路を彩るケイトウの赤い色が目にまぶしい!

 ゲート前に戻ると、昨日渡嘉敷島に案内した韓国の若者たちがやってきた。正午の座り込みにも一緒に参加してくれた。

 今日1月17日は、あの阪神淡路大震災から29年目を迎える。

 当時大阪に住んでいて震災を経験したという女性が、「能登の被災地で寒さに震えながら過ごす人たちを見て、あの時の苦しみを思い出し胸が締め付けられる。辺野古の基地に1兆円?そんなお金があるのなら、被災地の人たちに救援物資を一刻も早く届けてほしい。1兆円もあれば、被災者の救援は、どんなこともできるのに、この国のお金の使い方は間違っている!」と大粒の涙を流しながら訴えた。

 

 

2024年1月17日リンクURL

平和学習ツアーのガイドで渡嘉敷島へ

 16日(火)は、韓国からの平和ツアーのガイドで、渡嘉敷島に行ってきた。


 去る五月にソウル市内の教会幹部の方々を案内したときのメンバーが、今度は自分の所属する教会の若い人たちを、送り出してくださったのだそうだ。

 「地上戦」、「集団自決」、「慰安婦」、史上最悪の戦場と言われる沖縄戦の、三大特徴であるこれらすべてが、さらに濃縮した形で起ったのが渡嘉敷島の沖縄戦である。ここに大きく朝鮮半島の人々が関わってくる。

 渡嘉敷島の慰安所に、日本軍の性奴隷として繋がれ、過酷な生き地獄を強いられた7人の女性たちは、朝鮮半島から騙されて連れてこられた女性たちだった

 沖縄戦当時、この小さな沖縄の島々に147ヵ所もの慰安所があったことが、わかっているが、その中でどんなことが行われていたかは、軍の機密とも相まって全く明らかになってない。唯一渡嘉敷島の慰安所だけ、慰安所の実態が明らかになった。それは、戦後も沖縄で生きた一人の女性の証言があったからだ。

 二度と同じことを繰り返さないためにも、彼女たちのことを記憶にとどめようと、この地に「アリランのモニュメント」が建立された。

 また、一枚目の写真は、特殊特攻艇(ゼロ戦の船版)の秘匿豪の前で写したものだが、この壕もまた朝鮮半島から強制連行された「軍夫」と呼ばれた人達が掘ったと言われている。

 「特殊特攻艇」は、日本軍にとって秘密作戦だったため、住民が米軍の捕虜になって軍機密が漏れることを恐れ、住民は集団自決に追い込まれた。 

 渡嘉志久ビーチの白い砂浜で昼食をとる若者たち。しっかり事前学習もしての沖縄平和ツアーだが、「知識としては知っていたが、やはり実際に現地に来なければわからないことがある。ひしひしと体に感じるものがありました」と感想を語ってくれた。 

 集団自決のあった北山(ニシヤマ)では、村花・ケラマツツジが開花、青い空に映えていた。

 

2024年1月17日リンクURL