クービ(グミ)実る頃 ~ 4月5日の辺野古

 いつものように那覇発7:00のバスで辺野古へ向かう。今日は最高気温26度との天気予報。お陽さまさえ顔を出せば、昨日までの寒さはどこへやら、一転真夏日になるのは、亜熱帯沖縄の常、バスのエアコンはクーラーになっていた。

 8:30すぎ、 辺野古へ到着するといきなりの差し入れ。クービ(グミの実)だ。私が子どもの頃、先日行った渡嘉敷島でも、この季節は里山ではクービが実り、祖母や母が、畑仕事から帰ってくるのが待ち遠しかったものだ。お土産にクービやヤマモモ、野イチゴを持って帰ってくるから。辺野古で、思いがけなくそんなことを懐かしく思い出した。

 

 

 

 

 

 慶良間諸島とやんばるは、琉球古生層と呼ばれる同じ地層なのだそうで、山の木々の植生や海の生物がほぼ同じ。やんばるは私にとっては故郷を感じさせてくれる場所でもある。辺野古へ通わずにはいられないわけも、そこらへんが少なからず影響しているのかもしれない、と最近よく思う。

  9時前、1回目の座り込み。まずは歌で元気をつける。歌う歌は「沖縄の未来(みち)は沖縄が決める」他、辺野古抵抗の歌が続く。

 この日の機動隊は、歌が終わるまで、強制排除を待ってくれた。一方で、ゲートの中から防衛局の職員が「ここに座り込むのは違法だ。すぐに立ち退け!」とハンドマイクでうるさく叫ぶ。「あなたたちこそ違法工事だ。直ちに工事を止めろ!」と、こちらも負けずに言い返す。いつもの朝の光景が展開する。


 今日も米軍戦闘車両の出入りが激しい。演習でもしているのだろうか。

 一回目の座り込みを終えてテントに引き上げると、またしても美味しい差し入れが待っていた。

 

 

 

 

 

 

 きなこ、チョコ、小豆あんの三色だんご。その場で、一人ひとりに串で刺して手渡してくれた。つきたてのお餅に三つの味のあんこ入り団子3きょうだい。絶妙な味のハーモニーが実に美味しい。「ほっぺが落ちそう」とはこのことか!みんながお互いに持てる力を出し合い、助け合って辺野古の闘いがある。

 この日は、11時の第4ゲートからの搬入がなかった。

 

 昼食後は、歌のお姉さま・辺野古シスターズよるコーラスが、辺野古ゲート前の時空を潤した。遠く那覇からキーボードを持ってくる水曜日メンバーがいらっしゃるのだ。お得意のジャンルはロシア民謡。みんなで声を揃えて歌えば、自分の声まで美しく聞こえるから、不思議だ。

 

 午後3時前、この日3回目の座り込み。水曜日メンバーは今日も明るく元気に一日の行動を敢行した。

 那覇からの2台のバスは、一台が前日、安和の抗議行動で、逮捕された男性の激励と不当逮捕への抗議のため、名護署へ向かった。

 私は夕方別の予定が入っていたため、もう一人の仲間とともに、心を残しながら、別のバスで那覇へ戻った。

 

 <4月6日 琉球新報>

 

2023年4月6日リンクURL

一杯のコーヒーから ~ 渡嘉敷島で出会った ちょっといい話

 昨日紹介した渡嘉敷島ツアーは、日曜日だったこともあり、いつも利用させてもらっているいくつかのレストランや食堂がお休みで、他に適当な食事処が見つけられず、皆さんにはお弁当を持ってきてもらいました。

 午前中のコースを終えてトカシクビーチの前にある展望台の下で、それぞれ持ってきた弁当を広げ、自己紹介をしあいながらお昼を頂きました。大自然のなかで潮風に吹かれながらいただくお弁当の味は、格別です。

 <トカシクビーチ 2019年7月撮影>

 食事が終わって、皆さんが水泳や砂浜の散策を楽しんでいる間、ガイド役の私は荷物番をしながら、しばしの休息時間。喉を潤そうとリュクを開けたら、白湯を詰めて持ってきたはずの水筒がありません。入れ忘れたようです。

 財布からありったけの小銭をつかみ、自販機を探しましたが、見渡せる範囲にはありません。「まぁ、環境の面からはいいことだ」と納得しながら、それにしても困りました。喉がカラカラです。

 ビーチの駐車場にキッチンカーを見つけたものの、水は売っていないとのこと。仕方なく「コーヒーはおいくらですか?」と問えば、なんと500円という。「高ッ!」那覇の高級喫茶店並みです。手に握っていた小銭を数えたら220円しかありません。「すみません。お金が足りませんので…」と引き返えそうとしたそのとき、「足りない分は僕が出しますから、コーヒー差し上げて下さい」と声がかかりました。キッチンカーの前にしつらえられたテーブル席で、優雅にコーヒーを飲んでいた観光客らしい若い男性です。

 私は驚いて「いえ、とんでもありません」とお断りしたが、「どうぞ、ご遠慮なく!」と何度も勧めるので、「では、220円分だけ下さい」と言うと、今度はキッチンカーのオーナー(女性)が「220円でいいですよ」と笑いつつ、コーヒーを入れてくれました。

 コーヒーができるのを待ちながら「県外からいらしたのですか?」と訊ねると、その若者は、「そうですが、いまは阿波連(隣の集落)でダイビングショップをやっています」と意外な返事。私も、「この島の出身で、那覇に住んでいるが、今日はツアーのガイドで来ている」と自己紹介しました。

 いつの間にかパートナーらしい女性も加わって、「この島にガイドさんがついて案内するような場所があるんですか?」と怪訝そうに聞いてきたので、沖縄戦のときこの島で起った事、たくさんの戦争遺跡があり、平和学習のため多くの人たちが島を訪れていることなどを、ここぞとばかり話したことは、言うまでもありません。そんな私の話を聞いて、彼らは「私たちも行ってみます」と言ってくれた。 

 彼はきっと、私のことを「水が飲めなくて困っている観光客」と思って、助けようとしたのではないしょうか。もともとの島人ではなくても、いまは島の一員としての矜恃を持ち外来者に接する彼に、島に対する愛情を感じて、島人の私は、とても嬉しくなりました。私がもし観光客だったら、きっと「もう一度この島に来たい」と思ったことでしょう。

 思わず胸が熱くなったのは、なみなみと注がれた暖かいコーヒーのせいだけではなかったと思います。

 

2023年4月4日リンクURL

鎮魂の祈りこだまする渡嘉敷島 

 昨日(4月2日)は、3月28日の慰霊祭に続いて、再び渡嘉敷島を訪れる機会を得ました。

 辺野古の座り込みで顔なじみの方々が「渡嘉敷島に行こう」と声かけあって集まり、案内役を頼まれたのです。当初は3~4人の予定でしたが、一人増え、二人増えして最終的に13名、レンタカー3台に分乗して、島の戦争遺跡を回りました。

 少し風もあり、波も高く、薄曇りで決して好天気とは言えませんでしたが、慶良間ブルーの海をしのばせてくれるには十分な景観でした。

 

 まずは、これから戦跡地に入るご挨拶を兼て、戦没者の霊を祀る「白玉の塔」にお参り。メンバーの中にお坊さんが3人もいらしたので、お祈りをしていただきました。お線香を立て、読経に合わせて黙とうをささげました。

 そして、西展望台からケラマ海峡を望む絶景を眺めながら、慶良間の島々がなぜ「集団自決(強制集団死)」という沖縄戦最悪の惨劇に見舞われなければならなかったのか、その地理的、歴史的、文化的背景を説明。

 続いて、沖縄本島が一望できる東展望台に移動し、慶良間の島々と沖縄本島ととの位置関係を確認、大交易時代の航海の要所としての地理的条件が、後にペリー来航や、沖縄戦の米軍侵攻にも利用されたことなどを伝えました。 

 渡嘉敷島の戦争遺跡はそのほとんどが、現在の国立青少年交流の家の敷地内にあります。そこは北山(にしやま)と呼ばれ、「集団自決」の現場となった場所で、戦後ここが米軍のミサイル基地(1961年~68年)として接収されたため、この地にあった「白玉の塔」も最初にお参りした場所に移転を余儀なくされたのです。さらに1972年の「復帰」により、今度は「国立青年の家」となりました。

 元の「白玉の塔」跡には、いま「集団地決地の碑」が建てられ、碑文やパネルなどで渡嘉敷島の「集団自決」の実相を伝える場所となっています。

 ここの碑の後方の雑木林のなかに、集団自決の現場があります。

 当時の島の人口の3分のⅠ以上に当たる329名が、日本軍によって一か所に集められ、残虐きわまる形で命を落としたまさにその現場です。ここでも、読経に合わせて黙とうを捧げました。祈りの声が風に乗って雑木林の中を縫うように響き渡りました。何よりの供養になったと思います。

 私は特定の宗教を持ちませんが、心からの祈りは、宗教の枠を超えて通づると信じます。気持ちが暖かくなり、あふれる涙を禁じ得ませんでした。

 さらに、日本軍の避難壕群や特攻艇の秘匿豪なども見ることが出来ます。

 

 

<日本軍避難壕群>   <特殊特攻艇秘匿豪> 

 そして、渡嘉敷島の沖縄戦で忘れてはならないことは、「慰安所」跡が遺されていることです。沖縄戦ではこの小さな沖縄の島々に145ヵ所の日本軍「慰安所」があったと言われていますが、その中の様子は全くわかっていません。が、唯一分かっているのがこの渡嘉敷島の慰安所です。ここには朝鮮半島から連れてこられた7人の女性たちがいました。そこから生き残った一人の女性により、その様子が明らかになったのです。ここで詳しく紹介することはできませんが、彼女たちの存在を忘れず、後世に残すために「アリランのモニュメント」が建立されました。

 

 

 

 

 

 

 ツアーの性質上、シンドイ話が続きましたが、昼食時間にはトカシクのサンゴの浜で貝殻拾いや、短い時間でしたが泳ぎを楽しんだ若いメンバーもいます。 

 里山ではたわわに実った桑の実をもいで頬張りました。時間があれば、ヤマモモやバライチゴ狩りもできる季節です。豊かな自然が実感できる島でもあります。

 

2023年4月3日リンクURL