軍隊(米軍基地)とコロナと女性 ~ 軍事主義を許さない国際女性ネットワークがWeb会議

 沖縄のコロナ感染拡大が止まらない。県は、警戒レベルを最高の4(感染まん延期)に引き上げるとともに、8月14日までとしていた第2次緊急事態宣言の自粛要請期間を、8月29日まで延期すると発表した。

 「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議」は、1985年に沖縄で起きた米兵による「少女強かん事件」がきっかけで、米国が基地を置く国や地域の女性たちがつながり、軍隊による女性への暴力に関する情報や経験を共有することで、軍事主義に抗する知恵と行動をエンパワメント、「真の安全保障とは何か」を追求してきた。

 これまで参加国・地域を持ち回りで国際会議を開催してきたが、今年は「コロナと軍隊の関係、それが社会、とりわけ女性にどんな影響を与えているか」を、各国の状況を報告し合い、検証を重ねている。

 沖縄を中心に、米国、日本、韓国、プエルトリコ、グヮム、フィリピン、ハワイをつなぎ、昨日、その5回目のWeb会議が行われた。

 やはりどの国・地域でも米軍内のコロナ感染率は民間地域より高く、世界規模で展開する米軍をはじめとする諸国の軍事行動の数々が、世界中にコロナを拡散している可能性は、過去の例からも否定できない。コロナ禍が経済活動を破壊し、それによって女性や子ども、高齢者、非正規労働者など社会的弱者に、よりしわ寄せが集中している。「戦争をしている場合ではない。軍事費をコロナ対策費に!」は、各国共通の課題である。

 しかし、そんな中でも米軍と同盟国は、世界最大規模の軍事演習・リムパック(RIMPAC)を、明日(17日)からハワイで行うとしていることに、女性たちが抗議の声を上げている。「リムパックを中止しろ!」と。

 「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議」では、さらに話し合いを重ね、女性たちの声を集約して声明文をまとめ、各国政府や国際社会に向けて発信していくことにしている。

 

 

2020年8月16日リンクURL

抗議行動休止9日目 ~ 今日(8月12日)の辺野古

 辺野古へ向かう途中 、紺碧の空に浮かぶ白い雲が、今日はいつにも増してきれいだった。台風5号、6号は、沖縄本島にはほとんど影響がなかったが、台風一過の澄んだ青空がまぶしい。

 8:00過ぎ辺野古へ到着すると、座り込みテントは台風対策(5号)のため、屋根のシートが取り外され、骨組みだけになっていた。

 幸い大きな琉球松やモクマオウの大木が、木陰をつくってくれているので、休憩時間の暑さは、かろうじて凌げる。

 

 午前9時の第一回搬入に備えて、まずは10数人が座り込んだ。まとまっての抗議行動は「休止」ということになってはいるが、来たからには坐りこまずにはいられない。十分なソーシャルデスタンスをとって座る。

やがて、県警のパトカーに先導されてコンクリートミキサーの車列がやってきた。民間企業が業務するのに、県警のパトカーが、一日中(しかも数年にわたって)専従で警護するということが許されるものなのか、どうも納得がいかない。

いずれにしても、辺野古の新基地建設は、警察権力の動員なしでは、一歩も進まない公共工事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「コロナの感染を防ぐため、県警のごぼう抜きは避ける」ということにしているため、瞬く間に排除されてしまう。

 工事車両が入った後も、ゲート前を行進。ささやかでも抵抗の姿勢を示す。

 正午の2回目の搬入に向けて、やはり十数人で座り込む。天気が良いのは、本来ならうれしいことのはずだが、炎天下、アスファルトの照り返しを受けながら滝汗で座っていると、めまいをを起こしそうで、キャンプ・シュワブ上空の、雲一つない青い空が恨めしくなる。

 1回目は生コン車が多かったが、2回目はすべて捨て石、砂利、砂を満載したダンプのみ。ジュゴンや海亀、サンゴの海にこのような石やセメントが撃ち込まれていると思うと、たまらない気持ちになる。

 今日も3回の搬入で、合計269台の工事車両が入った。

 

 テント横の花壇のハイビスカスがいっぱい花をつけていた。やっぱり暑い夏がうれしいのだろうか!

 農業や家庭菜園をしている方々からのうれしい差し入れ。ゴーヤー、ナーベーラー(ヘチマ)ジャガイモ。沖縄の典型的な夏野菜だ。元気いっぱいの野菜たちに、改めて土のすごさを感じる。コロナ禍で農業(自然のありがたさ)が見直されているという。やはり人間は地(土)に足をつけて生きるのが健全だと思う。

 

 

 

2020年8月12日リンクURL

翁長前知事三年忌 ~ 今も県民を励ます翁長知事の「言葉」

 今日8月8日は翁長雄志前知事が亡くなってまる2年、三年忌を迎える。翁長さんが、それこそ命をかけた米軍基地をはじめとする沖縄問題は、2年前と少しもわかっていない、どころかますます厳しさを増しているが、それでも平和を願う県民がめげずに戦い続けていられるのは、翁長さんが遺した数々の「言葉」が、人々を励まし続けているからである。

 この本の表紙にもある「ウチナーンチユ、ウセーティナイビランドー(沖縄人をバカにするな!)」や「ウチナーンチュ、マキテエナイビランドゥ(我ら沖縄人、負けてはいけませんよ」は、辺野古ゲート前など闘いの現場でよく使われる。

 その他にも、的を射た真実を見抜く数々の「言葉」が、今も私たちを励ます。

『日本を取り戻す」という中に沖縄は入っているのですか』(2015・9・8 県と政府による集中協議の会合にはじめて出席した安倍首相に問いかけた言葉)

2015年、相次いでオスプレイの事故が起こり、米国に対し抗議一つできない国に対し、日本政府は、沖縄県民を日本人とは思っていない」とも。

 さらに、米国にものが言えない政府に、『何回も言うが、当事者能力がない』 (2017年、オスプレイ事故後、訓練開始についての県からの問い合わせに対し「米軍の運用に関わることで、応える立場にない」と回答した沖縄防衛局に返した言葉)

『基地問題が、一番大きな人権問題だ』(2015・9・22 国連の人権理事会で、翁長知事が行った声明発表に対し、日本政府代表部が「基地問題を人権理事会で取り上げるのはなじまない」と反論したことに、翁長知事が再反論したときの言葉)

『いつも米国は東京のせいにし、東京は米国に何も言えない。この状況の中で、沖縄の問題が全く解決しない。日米の安全保障体制は、沖縄という砂上の楼閣に乗っかっている(2017・11・20 米兵が飲酒運転で死亡事故を起こし、知事室に謝罪に訪れた在沖米軍トップ・ニコルソン四軍司令官に対していった言葉)

 「その後ろ姿を見せることで、子や孫がその思いを吸収し、彼らなりに沖縄の将来を担っていくことにつながる。私たち責任世代の役割はそこにあるのではないか」(2015年・12・25 県は国を相手にいくつもの裁判を起こした。負け続けても、また新たな裁判を闘う意義を語った言葉)

◇参照:「沖縄県知事 翁長雄志の「言葉」沖縄タイムス社発行」

 翁長知事の言う「私たち責任世代」、まさに私もその一人である。改めて、本当に沖縄を愛し、命の限りを尽くして強大な日米国家権力に抗った稀有の政治家だったと感じ入り、胸が熱くなる。

 

(2020年8月8日 琉球新報 ↓)

 

 

 

 

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