ご案内③:メディアはすべての人権のため隠された真実を暴け③ ~ ジェンダーの視点から安全保障を問う「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」

 1995年、米兵による少女レイプ事件をきっかけに誕生した基地・軍隊を許さない行動する女たちの会は、結成以来一貫して軍隊の構造的暴力を訴え、ジェンダーの視点から真の安全保障とは?と問い続けてきた。

 沖縄における米兵による女性への性暴力の実態を明らかにする犯罪年表の作成や、沖縄と同じく米軍の駐留する国・地域の女性たち、軍隊を送り出している国の女性たちとも連帯して、30年近く続く「国際女性ネットワーク」の、脱軍事化、脱植民地化を目指す活動を報告する。

 

2024年4月13日リンクURL

うるま市「自衛隊訓練場計画」断念

 

 

  地域住民が保革を越え一致して反対した成果である。しかし、国は県内他地域での整備をあきらめたわけではない。

 うるま市の「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」では、別の土地で整備計画が持ち上がった場合、「その地域が反対するなら、協力していく」と連帯を表明している。

 

 

2024年4月13日リンクURL

チリ地震大津波の記憶 を語る ~ 4月10日の辺野古

 暖かくなるにつれ、日に日に夜明けが早くなる。毎週水曜日、早朝に自宅を出る身にはありがたい。

 旧暦はまだ3月になったばかりで、一日のうちでも、春と初夏の間を行ったり来たり。少し体を動かすと汗をかき、木蔭に入れば半袖では肌寒くなる。季節の変わりは服装の調整に苦心する。

 津波騒動から一週間たった水曜日の辺野古。往きのバスの中でも、その日のそれぞれの行動が話題になった。

 1960年(S35年)5月24日早朝に北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に来襲したチリ地震による津波は、各地に大きな被害を与えた。現在のようなネットによる情報網もなく、体感する地震もなかったことから、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちであったといわれる。

 沖縄でも中北部の東海岸に大きな津波が押し寄せた。この日一回目の座り込みで、当時の体験を、辺野古在住の島袋文子さんが語った。

「黒々とした大きな波が押し寄せてくるのが見えたので、隣近所の方々も誘って高台に避難した。

 やってきた来た波はあまり大したことはなく引いたが、しばらくして今度は家の屋根を越える波が襲って来た。それが何度も繰り返し、2~3日続いた。二見の集落は津波に呑みこまれ、最初の波が引いた後、自宅に帰ったり、荷物を取りに戻った人たちがいて犠牲になった」文子さんは、そのときの恐怖を語りながら「津波は、一度引いたからと言って、すぐに家に戻ってはいけない。何度もやってくる」と、繰り返し強調した。 

 そのような危険な場所に新たな米軍基地をつくろうとしているのが、辺野古新基地建設である。地震・津波だけでなく、軟弱地盤や活断層もある大浦湾は、飛行場や弾薬庫など作れるような場所ではない。フクシマの原発のように、地震や津波の被害をさらに何倍にも拡大、災害を誘因する役割を果たす。そのような危険な基地建設は、いまからでも遅くない即刻中止すべきだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日も機動隊が座り込む人々を強制的に排除して、工事車両による建設資材の搬入が3回行われた。午後から私の友人たちもを含め、県外・海外からの参加者も予定されていたが、私は別日程があり、正午前に辺野古を後にした。

 テント横の花壇では、ここ数日の恵みの雨と、暖かい日差しを受けて、セキドウサクラソウが気持ちよさそうに咲いていた。

 

 

2024年4月11日リンクURL